よこやまの道~歴史の道と出会う丘陵ハイク~ 


標高
唐木田駅からはるひ野駅
山域
多摩・武蔵野
登山日
2021年12月13日(月)、晴れ
歩程
行動時間 4:35、歩行時間 3:35
歩行距離
8.6km
標高差
25m
累積標高差
+195m、-220m
登山口
小田急唐木田駅mapon
交通機関
 往路・小田急唐木田駅、 往路・小田急はるひ野駅
登山コース
唐木田駅~中坂公園~一本杉公園~妙櫻寺~古道五差路~防人見返りの峠~もみじ広場~はるひ野駅
コースmap
よこやまの道(GoogleEarthで作成)

 

 コースタイム


唐木田駅9:55~中坂公園~一本杉公園11:30/12:10~妙櫻寺~古道五差路~防人見返りの峠13:40/14:00~もみじ広場~はるひ野駅14:30

 

 唐木田駅~一本杉公園


山仲間との軽い山行は多摩丘陵のよこやまの道です。多摩丘陵に弓のように続く尾根は万葉の時代から多摩の横山、眉引き山とも呼ばれているところです。

古代より西国と東国を結ぶ交通の要衝として、鎌倉古道や奥州古道が南北に交差し古い歴史の跡が各所に残されています。また、新田義貞による鎌倉幕府の運命を決めた分倍河原の古戦場もこの近くにあります。

集合は唐木田駅、駅前を通る県道はかつての奥州古道と言います。小田急の車両基地を回り込むように進むとよこやまの道の案内板がありました。

唐木田駅
舗装道路に沿った道を歩き
よこやまの道の案内板
雑木林の道は紅葉の中

遊歩道のように整備された道は真っ赤に色付いた紅葉の中、落ち葉を踏みしめながら歩くハイキングコースが続いています。

小山田緑地への道を右に分け階段を下ると小さな園地、道端には奥州廃道の道標が建っています。案内によるとこの道は平安時代末期から都人や官僚がたどった道です。源頼義や義家の奥州追討伝説のある神社もこの道筋にあると言います。

小山田緑地への道を右に分け
小山田緑地の案内板
奥州廃道の道標
ゴルフ場わきに続くよこやまの道

ゴルフ場の脇をたどる道は勝負塚にたどり着きます。ここは古戦場伝説が残るところ。太平記によると後醍醐天皇の綸旨を受けて、討幕の挙兵をした新田義貞は小手指原の戦い、久米川の戦いで鎌倉幕府軍を破り、分倍河原で北条軍と激突しました。新田軍は苦戦を強いられましたが三浦義勝をはじめとする相模国の豪族の援軍を得、分倍河原、関戸の合戦に勝利しました。その後、新田軍は鐘掛け松の地で軍議を開き大軍に膨れ上がった軍勢を三手に分け侵攻をしました。そのうち右翼がこの地を進んだとされています。昭和30年にこの付近で頭に刀傷を負った鎌倉時代の人骨が発見されたことから、付近一帯が古戦場であったと推定されています。

展望が開けると青空の下に丹沢の稜線、蛭ヶ岳の先には真っ白な富士山の頂がそびえていました。

古戦場伝説と勝負塚
住宅地の中をたどり
丹沢の稜線の上に富士山
奥州古道(中尾道)の道標

道端には奥州古道(中尾道)の道標があります。案内板によると都と東国を結んだ奥州古道が多摩丘陵を越えるルートは西から常盤道、長坂道(奥州廃道)、中尾道がありました。足柄や箱根からこの道を通り、落合の白山神社(現在の多摩センター)、府中を目指す旅人が通ったところと言います。

一本杉公園のスダジイ
スダジイの案内板
東京都水道局の給水塔か
近くに公共基準点

 

 その他のコース・山行記録


 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)/尊治(たかはる)

第96代天皇(在位:1318年3月29日~1339年8月15日)後宇多天皇の皇子。大覚寺統。親政を企てて正中の変、元弘の変に敗れ、隠岐に流された。1333年脱出し新田義貞足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。

のち公武の不和から親政は失敗し尊氏らも離反、36年吉野に移り南朝を立てた。

 

 新田義貞(にったよしさだ)

1301~1338年、鎌倉末期・南北朝時代の武将。元弘3年(1333年)鎌倉幕府を滅ぼし建武政権から重用された。のち足利尊氏と対立、兵庫で楠木正成(くすのきまさしげ)とともに九州から東上する尊氏と戦ったが敗れ、恒良・尊良両親王を奉じて越前金崎城によったが落城。藤島の戦いで討ち死にした。

 

 後宇陀天皇(ごうだてんのう)

第91代天皇(在位:1274年1月26日~1287年10月21日)亀山天皇の第2皇子。大覚寺統。1287年伏見天皇に譲位したが、その後続けて持明院統の後伏見天皇が即位したため、幕府に働きかけて後二条天皇を即位させて院政を行った。陵墓は京都府京都市右京区北嵯峨朝原山町の蓮華峯寺陵。

 

 新田義貞(にったよしさだ)

1301~1338年、鎌倉末期・南北朝時代の武将。元弘3年(1333年)鎌倉幕府を滅ぼし建武政権から重用された。のち足利尊氏と対立、兵庫で楠木正成(くすのきまさしげ)とともに九州から東上する尊氏と戦ったが敗れ、恒良・尊良両親王を奉じて越前金崎城によったが落城。藤島の戦いで討ち死にした。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

 楠木正成(くすのきまさしげ)

1294~1336年、南北朝時代の武将。河内国の土豪。1331年、後醍醐天皇に呼応して河内赤坂城に挙兵、建武政権樹立に貢献し、河内和泉の守護となった。1336年足利尊氏を兵庫湊川に迎え討つが敗れ、弟正季と刺しちがえて死んだ。

 

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