岩殿山~武田氏滅亡の舞台となった歴史を今に伝える岩山~ 


標高
岩殿山 634m
山域
中央線沿線
登山日
1992年2月16日(日)
歩程
合計 3:40
歩行距離
7.5km
標高差
276m
累積標高差
514m、-514m
登山口
大月駅mapon
交通機関
 JR中央線大月駅
登山コース
大月駅-1:10→ 岩殿山展望台 -1:10→ 天神山 -1:20→ JR大月駅
コースmap
岩殿山 登山コース

 

武田二十四将の一人、小山田信茂の岩殿城址として古い歴史を今に伝える岩殿山は、大月駅の北側に天に向かって岩壁を突き上げている岩山です。700メートルに満たない低山にもかかわらず、山頂からの眺望も素晴らしく、また山頂の岩殿城址には往時を語り継ぐ遺構が数多く残り、武田氏興亡の歴史を垣間見ることが出来る山です。

山行の記録

 大月~岩殿山

中央本線の普通列車で大月駅へ。駅前からは「岩殿山登山口・さつき通り商店街」と書かれた大きなアーチをくぐります。ここから舗装道路をしばらく登ると目指す岩殿山の登山口です。

舗装された急坂をしばらく登ると小さな丸山公園。ブランコや滑り台、ベンチなどが狭い斜面に置かれています。公園の中の道をジグザグに登っていくと、築坂峠への道を左に分けます。急な階段状の道をさらに登っていくと大きな自然石を利用した揚城戸跡の遺構。往時は岩殿城の大手門として、多くの番卒がこの城門を守っていたと言います。

そびえ立つ鏡岩の基部から急な階段を山頂の肩に向かって登って行きます。たどり着いた岩殿山の展望台に立つと正面は大きく開け、大月の町並みとその向こうに高川山や三ツ峠山。左手には九鬼山と御正体山など道志の山々。正面には白く雪を被った富士山が青空にそびえ立っています。今日はかなり風が強いようで、富士山の斜面には風にあおられた真っ白な雪煙が立っていました。

岩殿山からは白い雪を被った富士山が
縦走路から眺める岩殿山

岩殿山の山頂はここからしばらく登ったところです。まだすこし早いようですが馬場跡という鞍部に下り昼食です。

食事の後、山上の遺構の跡をたどりながら、本丸跡である山頂に向かうことにします。山頂には大きなパラボラアンテナが建っていました。ここからは道志側の展望が開け、山頂に雪を被っている二十三夜山から丹沢の大室山、加入道山などの山々を一望することができます。振り返ると木立の間から南大菩薩連峰の稜線がそびえていました。

 岩殿山~稚児落し~浅利~大月

岩殿山からは兜岩に向かうこととします。一度築坂峠への分岐点に戻り、赤松林の中の急坂を下っていくと築坂峠です。この峠は岩殿城の大手口に備えられていた空掘りで、往時は城への出入り口として利用されていたと言います。登山道は緩やかな尾根道を登り返して行きます。兜岩への稜線には鎖場が2ヶ所。1ヶ所目の鎖場は10メートルほどの岩場。2ヶ所目の鎖場は兜岩の直下で、左手が大きく切れ落ちているため小さなスリルを楽しむことのできるところです。

切り立った稚児落しの岩場
大月の町の上にそびえる富士山

兜岩から一度鞍部に下り、登り返した尾根道をしばらく進むと天神山の山頂です。雑木林の山頂は広く伐採され、目の前には大きな展望が開けています。振り返ると、今たどってきた岩殿山の岩場から兜岩への山並み。その向こうに広がるのは百倉山、扇山などの山々です。

天神山から緩やかな尾根道を稚児落しの岩場へと向かうことにします。赤松の林の中を緩やかに登ると、やがて左手が大きく切れ落ちた稚児落しの大岩壁。おそらく高さは70メートルほどもあるでしょうか、垂直に切り立った岩場はなかなかのスリルがあります。稚児落しの岩場には「岩殿城が信長の軍勢により落城しようとするとき、小山田信茂の妻と乳児が尾根伝いに落ち延びようとしていた。このとき乳児の泣き声に困り果てた家臣の小幡太郎はこの岩壁から乳児を落とした」という言い伝えがあるところです。

岩場からは左手の尾根道を浅利の集落へと下ることにしました。明るい雑木林の中の急坂をしばらく下ると浅利の集落。ここから大月駅までは40分ほどの舗装道路歩きです。

その他のコース・山行記録
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