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あの頂を越えて

史跡探訪

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~歴史探訪~

 七人塚

 観光地の種類:史跡
 所在地:神奈川県伊勢原市上粕屋1349
 訪問日:2018年11月26日

 

上粕屋神社付近にある七人塚は、太田道灌上杉定正に襲われた時に討死した家臣7名の墓です。現地の案内板によるとかつては上粕屋神社の境内にありましたが、明治末の開墾のとき伴頭のものと言われる一つが残されたと言います。

七人塚
七人塚の道標
七人塚の案内板

近くの洞昌院には太田道灌の墓があります。

関連記録・コース

 太田道灌(おおたどうかん)

1432~1486年、室町中期の武将。上杉定正の執事となり江戸城を築城。山内上杉家の内紛を鎮圧したが、かえって扇谷上杉家の勢力増大を恐れた山内上杉顕定(あきさだ)方の讒言により、主君定正のため謀殺された。兵法に長じ、和漢の学問や和歌にもすぐれた。

 

 上杉定正(うえすぎさだまさ)

1443~1494年、戦国時代の武将。扇谷上杉持朝の子。太田道灌を登用して勢威があがったが、山内上杉顕定の中傷によって道灌を暗殺。顕定との交戦中、陣中で没した。

 

 上杉定正(うえすぎさだまさ)

1443~1494年、戦国時代の武将。扇谷上杉持朝の子。太田道灌を登用して勢威があがったが、山内上杉顕定の中傷によって道灌を暗殺。顕定との交戦中、陣中で没した。

 

 太田道灌(おおたどうかん)

1432~1486年、室町中期の武将。上杉定正の執事となり江戸城を築城。山内上杉家の内紛を鎮圧したが、かえって扇谷上杉家の勢力増大を恐れた山内上杉顕定(あきさだ)方の讒言により、主君定正のため謀殺された。兵法に長じ、和漢の学問や和歌にもすぐれた。

 

 上杉顕定(うえすぎあきさだ)

1454~1510年、室町から戦国時代の武将。山内上杉家をつぎ関東管領となり上野平井城を本拠に古河公方の足利成氏(うじしげ)と戦う。のち扇谷上杉定正(さだまさ)と爭う。

 

TAG:太田道灌・日向薬師のみち 2018年11月26日,太田道灌の墓 2014年4月1日
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