成田山新勝寺 


 寺社の種類:真言宗智山派の大本山
 創建の時期:天慶3年(940年)
 本尊:不動明王(大聖不動明王)
 札所:関東三十六不動霊場36番札所
 所在地:千葉県成田市成田1番地
 訪問日:2018年8月18日

 

成田山新勝寺は多くの参拝者が訪れるところで、正月には明治神宮に次いで全国第2位の初詣客を数えています。

縁起では平将門の乱において朱雀天皇の勅命を受けた寛朝僧正が将門調伏のため弘法大師開眼の不動明王を遷座し護摩供を奉修たのが始まりとされています。

参拝客で賑わう門前町
見上げる大きな総門
参拝客で賑わう総門
境内の案内板

大きな総門をくぐると仁王門へと登る階段です。真っ赤な魚がしと書かれた大提灯が奉納されていました。

参道の先に仁王門
手水舎
石段を登ると仁王門
大きな提灯の文字は魚がし
天井には千社札
石段には奉納碑や社

さらに石段を登ると大本堂のある広場です。本尊の不動明王が安置され御護摩祈祷を行われるところといいます。

その右手には聖徳太子を祀る太子堂や一切経堂があります。一切経は大蔵経とも言われお釈迦様が説かれた「経」と戒められた「律」およびの弟子が解説した「諭」の3つで、6,956巻におよぶと言います。輪蔵と呼ばれる回転する書架に納められこれを回すと経典全巻を読誦したのと同じご利益が得られると言います。

大本堂
三重の塔
聖徳太子堂
一切経堂
一切経堂に輪蔵
釈迦堂の大香炉

大本堂の脇には釈迦堂があります。安政5年(1858年)に建立されたかつての本堂で釈迦如来や、普賢菩薩、文殊菩薩、弥勒菩薩、千手観音の四菩薩が安置されています。

釈迦堂
釈迦堂の内部
奉納額が掲げられる額堂
額堂
開山堂
三社神社

石段を登ると額堂、その奥には光明堂があります。光明堂は元禄15年(1701年)に建立された古い本堂で大日如来、愛染明王、不動明王が安置されています。

清龍権現堂
光明堂
軒に魚市場の奉納額
光明堂の内部に扁額
光明堂
昨年落成した医王殿

その奥には2017年に建立された真新しい医王殿があります。薬師如来を祀る医王殿はかつての本堂である薬師堂が門前町にあることから医王殿に尊薬師如来、日光菩薩、月光菩薩を安置したと言います。

医王殿
医王殿に薬師如来
平和大塔
朱塗りの平和大塔
平和大塔の不動明王
石段を下って行くと雄飛の滝

境内の奥にそびえるのは平和大塔、高さ58mと言う多宝塔で本尊の不動明王を中心として、大威徳明王、金剛夜叉明、軍荼利明王、降三世明王が祀られていました。一階の霊光殿には写経道場のほか寺宝などが展示されていました。

参道を下って
参道には池は亀が
名物と言う鰻重

大きな境内の中にたくさんのお堂や石碑、石仏。確かに日本第2位の初詣客を集めることが頷けそうなお寺です。帰りは名物と言ううなぎを食べることにしました。最近は高い鰻重も値段はリーズナブル、観光地に旨いものはないと言いますが名物と名乗っただけのことがある鰻でした。

関連記録・コース

 真言宗豊山派(しんごんしゅうふざんは)

真言宗の新義真言の一派。総本山は奈良桜井市の長谷寺。真言宗智山派と同じく覚鑁(かくばん)を開祖とする。織田信長のため根来寺を追われた専誉(せんよ)が一派を形成した。

 

 不動明王(ふどうみょうおう)

五大明王・八大明王の主尊。悪魔を下し仏道に導きがたいものを畏怖せしめ、煩悩を打ちくだくと言います。

忿怒の姿で火焔の中にあり、右手に剣、左手に索縄を持ち、心の内外の悪魔をはらうとされています。

 

 関東三十六不動霊場(関東三十六不動霊場)

昭和62年(1987年)に開創された不動霊場。神奈川県・東京都・埼玉県・千葉県内にある36箇所の不動明王霊場寺院をめぐる札所。

1番 雨降山大山寺、2番 大雄山最乗寺(道了尊)、3番 成田山横浜別院、4番 大聖山真福寺、5番 清林山佛乗院、6番 神木山長徳寺、7番 金剛山平間寺(川崎大師)、8番 高尾山薬王院(高尾山)、9番 高幡山明王院、10番 田無山総持寺、11番 亀頂山密乗院、12番 寶勝山蓮光寺、13番 大聖山東朝院、14番 神霊山慈眼寺、15番 明王山聖無動院、16番 竹園山最勝寺、17番 瀧轟山明王院、18番 泰叡山瀧泉寺、19番 牛宝山明王院、20番 成田山東京別院、21番 川崎大師東京別院、22番 阿遮山円満寺、23番 砂尾山橋場寺、24番 龍光山三高寺、25番 皿沼山永昌院、26番 五智山遍照院(西新井大師)、27番 成田山川越別院、28番 星野山無量寿寺(川越不動)、29番 不動山白山寺、30番 玉嶹山總願寺(不動ケ岡不動)、31番 光岩山彌勒密寺、32番 普和山最上寺、33番 妙高山大聖院、34番 幸野山宝勝院、35番 阿舎羅山大聖寺(波切不動)、36番 成田山神護新勝寺(成田不動)

 

 平将門(たいらのまさかど)

?~940年、平安中期の武将。上洛して藤原忠平に仕えたが、希望が叶えられず関東に戻った。同族内の領地争いから伯父の国香を殺し、武蔵国や常陸国の紛争に介入するなど関東に勢力を拡げた。自ら新皇と称し関東独立を図ったが朝廷の追討軍との争いに破れた。京都で処刑され首が飛び帰って葬られたのが大手町将門首塚とされる。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 薬師如来・薬師瑠璃光如来(やくしにょらい)

東方浄瑠璃世界の教主。人々の病患を救うとともに悟りに導くことを誓った仏で医薬の仏として信仰される。右手に施無畏印(せむいいん)を結び、左手に薬壺(やっこ)を持つ。脇侍に日光菩薩と月光菩薩、眷属として十二神将が配される。

 

 真言宗智山派(しんごんしゅうちざんは)

真言宗の新義真言の一派。宗祖覚鑁(かくばん)は真言宗の教義に念仏を加味し、高野山の大伝法院にあって布教に努めた。その教勢が高野本山をしのいだため紛争を生じ1140年円明寺を開いて分立した。

 

 覚鑁(かくばん)・興教大師

平安後期の真言宗の僧(1095~1144年)高野山に大伝法院、密厳院などを建立し、金剛峰寺とともに座主を兼ねたが一山の反対にあい根来に移った。新義真言宗の開祖、伝法院流の祖。

 

 専誉(せんよ)

真言宗豊山派の祖。紀伊根来寺の玄誉(げんよ)、頼玄(らいげん)に師事。天正13年豊臣秀吉の根来攻めにあい高野山にのがれる。15年豊臣秀長にまねかれ大和長谷寺にはいりった。

 

 真言宗(しんごんしゅう)

弘法大師空海(774~835)が唐で学んだ密教を教義に平安初期に開いた。大日如来を教主とし、身口意(しんくい)三密の加持力で即身成仏(じょうぶつ)させるのを本旨とする。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

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