身延山久遠寺 


 寺社の種類:日蓮宗の大本山
 創建の時期:弘安4年(1281年)、日蓮が開山
 本尊:三宝尊
 札所:日蓮上人霊跡、日蓮宗57本山、甲斐百八霊場108番
 所在地:山梨県南巨摩郡身延町身延3567
 訪問日:2018年5月26日

 

文永8年(1271年)佐渡へ配流となった日蓮上人は文永11年(1274年)春に赦免となりました。その後、身延の地頭である南部実長の招きに応じて身延山に入山し、6月17日より鷹取山のふもとの西谷に構えた草庵を住処としました。

弘安4年(1281年)には十間四面の大坊が整備され、日蓮により身延山妙法華院久遠寺と名付けられたと言います。

弘安5年(1282年)9月に病の養生のため身延山を下ったが池上宗仲邸(現在の池上本行寺)にて10月13日に死去したと言います。

本堂下に大きな駐車場
斜行エレベータで本堂へ
エレベータから見下ろす駐車場
本堂の前に五重塔

駐車場からは斜行エレベータで本堂に登って行きます。大きな本堂は1985年、日蓮聖人700遠忌事業として再建され2500人の法要が行えるところと言います。その隣の祖師堂は日蓮上人の神霊を祀るところで、明治14年(1881年)、江戸にあった寺院のお堂を移築したものと言います。

祖師堂の前のしだれ桜は樹齢400年、全国しだれ桜10選のひとつとして観光案内でもお馴染みの桜で、地面に垂れ下がるサクラを目当てに多くの観光客が訪れるところです。

広場の正面に本堂
久遠寺の扁額
棲神閣祖師堂
精緻な彫刻が施された祖師堂
棲神閣の扁額
受付がある報恩閣
境内の案内板
御真骨堂の拝殿
精緻な彫刻が施された御真骨堂の拝殿
御真骨堂の拝殿
仏殿・位牌堂
仏殿・位牌堂
仏殿の内部に大きな人天涯
大客殿
法喜堂は信徒休憩所
時鐘
参道の正面は甘露門
開基堂
大鐘楼
手水舎

身延山の山頂(標高1153m)には、奥之院思親閣があります。ロープウェイを利用すると高低差763mをおよそ7分で登ることが出来ます。身延在山の9年の間、日蓮上人は身延山の山頂から遙かに房州小湊のご両親、師の道善房を追慕されたと言います。

ロープウェイで奥ノ院へ
ロープウェイの久遠寺駅
ロープウェイから見下ろす富士川
頭だけを出した富士山
ロープウェイの奥ノ院駅
奥の院に続く石段
日蓮大聖人御手植え杉
思親閣の山門
山門に仁王像
山門に仁王像

奥の院には東コースと西コースの参道がありハイキングコースとしても利用されていると言います。途中には大光坊、法明坊、日蓮上人の墓や草庵跡などの歴史に出会えるところのようです。

常護堂
境内の鐘楼
祖師堂
祖師堂の扁額
白い襷をかけたみのぶ講
本師釈迦牟尼仏
北展望台から山梨の山
北展望台からの案内板

山頂に立つ奥ノ院には観光客のほかにちれん講と言われるのか、20人ほどの一行が旗を立てながら参拝にぼって来ていました。

 日蓮宗(にちれんしゅう)

仏教の一宗派。鎌倉時代に日蓮が開いた。法華経を所依(しょえ)とし南無妙法蓮華経の題目を唱える実践を重んじ、折伏(しゃくぶく)・摂受(しょうじゅ)の二門を立て、現実における仏国土建設をめざす。

 

 日蓮(にちれん)・立正大師

鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。安房小湊の漁師の子という。17歳ころから鎌倉・比叡山などで11年間修行研鑽し、法華経こそ至高の経典であるとの確信を得、1253年故郷の清澄山頂で題目を高唱して開宗した。

 

 三宝尊(さんぼうそん)

日蓮宗の本尊。仏、法、僧の三宝を祀るための仏像を三宝尊と言う。また庶民にとって高価な仏像を祀ることは困難であり日蓮は諸尊を書いた十界曼荼羅を庶民に与えた。

 

 日蓮(にちれん)・立正大師

鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。安房小湊の漁師の子という。17歳ころから鎌倉・比叡山などで11年間修行研鑽し、法華経こそ至高の経典であるとの確信を得、1253年故郷の清澄山頂で題目を高唱して開宗した。

 

 日蓮宗(にちれんしゅう)

仏教の一宗派。鎌倉時代に日蓮が開いた。法華経を所依(しょえ)とし南無妙法蓮華経の題目を唱える実践を重んじ、折伏(しゃくぶく)・摂受(しょうじゅ)の二門を立て、現実における仏国土建設をめざす。

 

 日蓮宗(にちれんしゅう)

仏教の一宗派。鎌倉時代に日蓮が開いた。法華経を所依(しょえ)とし南無妙法蓮華経の題目を唱える実践を重んじ、折伏(しゃくぶく)・摂受(しょうじゅ)の二門を立て、現実における仏国土建設をめざす。

 

 訪問者数 今月:1件
 Back