中座山教恩寺(ちゅうざさん きょうおんじ) 


 寺社の種類:時宗の寺院
 創建の時期:室町時代後期、北条氏康が開基
 本尊:阿弥陀三尊
 所在地:神奈川鎌倉市大町1-4-29
 訪問日:2018年2月1日

 

鎌倉三十三箇所の第12番札所です。後北条氏の北条氏康が光明寺境内に創建したのが始まりで、後に大町に移転しました。

経恩寺の山門
小さな日本庭園の先に本堂
古い鬼瓦
経恩寺の本堂

経恩寺へは住宅地の中を入った判りにくいところにあります。山門をくぐると小さな日本庭園、その奥に本堂がありました。

本堂の内部
本堂の脇に御朱印所
彫刻が施された本堂
白砂利が敷かれた日本庭園

 

関連記録・コース

 時宗(じしゅう)遊行宗(ゆぎょうしゅう)

日本仏教の一宗派。念仏系の宗派で1276年一遍(いっぺん)が開いた。阿弥陀経を根本経典とし経中の臨命終時の言葉を宗の名とした。

 

 北条氏康(ほうじょううじやす)

1515~1571年、戦国時代の武将。後北条氏第3代。北条氏綱の子。1551年、扇谷上杉氏山内上杉氏を河越に破り、1561年の小田原城の戦いでは上杉謙信を敗走させた。伊豆・相模・武蔵・上野を領有し後北条氏の全盛期を築いた。

 

 鎌倉三十三観音霊場(かまくらさんじゅうさんかんのんれいじょう)鎌倉観音霊場(かまくらかんのんれいじょう)

大正から昭和初期にかけて設定された観音霊場で、江戸時代に成立した鎌倉郡三十三箇所をベースにされている。鎌倉郡三十三箇所と異なり、廃仏毀釈により廃絶・移転してしまった寺も存在した事から23箇所の霊場が新たに加えられている。

1番 大蔵山杉本寺、2番 金龍山宝戒寺、3番 祇園山安養院、4番 海光山長谷寺、5番 満光山来迎寺、6番 錦屏山瑞泉寺、7番 岩蔵山光触寺、8番 飯盛山明王院、9番 稲荷山浄妙寺、10番 功臣山報国寺、11番 帰命山延命寺、12番 中座山教恩寺、13番 稲荷山別願寺、14番 随我山来迎寺、15番 円龍山向福寺、16番 内裏山九品寺、17番 南向山補陀洛寺、18番 天照山光明寺、19番 天照山蓮乗院、20番 天照山千手院、21番 普明山成就院、22番 霊鷲山極楽寺、23番 大異山高徳院、24番 亀谷山寿福寺、25番 泉谷山浄光明寺、26番 扇谷山海蔵寺、27番 若昇山妙高院、28番 巨福山建長寺、29番 蓮菜山  龍峰院、30番 福源山明月院、31番 金宝山浄智寺、32番 松岡山東慶寺、33番 円覚寺仏日庵

 

 一遍(いっぺん)・遊行上人(ゆぎょうしょうにん)・円照大師(えんしょうだいし)

鎌倉中期の僧。1239~1289年。時宗(じしゅう)の開祖。延暦寺に入り太宰府で法然の孫弟子聖達に浄土教を学ぶ。他力念仏を唱え衆生済度のため、民衆に踊り念仏を勧め全国を遊行した。

 

 後北条氏(ごほうじょう)

伊勢宗瑞(北条早雲)を始祖とし、氏綱、氏康、氏政、氏直と5代にわたり相模の小田原城を本拠として関東に雄飛した戦国大名。北条早雲は1476年(文明8年)に今川家内紛の調停役として歴史の舞台に登場した。

やがて駿河の興国寺城主となり、1491年(延徳3)には足利茶々丸を討って伊豆を平定し韮山城に移る。1495年(明応4)小田原城に大森藤頼を攻めてこれを奪い関東進出の第一歩をしるした。

 

 北条氏綱(ほうじょううじつな)

1487~1541年、戦国時代の武将。後北条氏第2代。早雲(伊勢宗瑞)の子。1524年(大永4)江戸城に扇谷上杉朝興を攻め川越城に敗走させて武蔵に進出した。鎌倉の鶴岡八幡宮の造営した、

 

 扇谷上杉(おうぎがつやうえすぎ)

上杉重顕を始祖とする上杉氏諸家の一つ。戦国時代には河越城に本拠を移し、武蔵国を拠点とする大名となり、南関東に勢力を扶植した。山内上杉と並び両上杉と称されるが、関東管領を務めたことはない。鎌倉の扇谷に屋敷を置いたことが家名の由来。

 

 山内上杉(やまのうちうえすぎ)

室町時代に関東地方に割拠した上杉氏の諸家のひとつ。足利尊氏・直義兄弟の母方の叔父上杉憲房の子で、上野・越後・伊豆の守護を兼ねた上杉憲顕に始まる家で、鎌倉の山内に居館を置いた。関東管領職も務めた。

 

 後北条氏(ごほうじょう)

伊勢宗瑞(北条早雲)を始祖とし、氏綱、氏康、氏政、氏直と5代にわたり相模の小田原城を本拠として関東に雄飛した戦国大名。北条早雲は1476年(文明8年)に今川家内紛の調停役として歴史の舞台に登場した。

やがて駿河の興国寺城主となり、1491年(延徳3)には足利茶々丸を討って伊豆を平定し韮山城に移る。1495年(明応4)小田原城に大森藤頼を攻めてこれを奪い関東進出の第一歩をしるした。

 

 阿弥陀如来(あみだにょらい)

大乗仏教の仏。西方の極楽浄土の教主で生あるものすべてをすくう仏様。念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰が鎌倉時代にさかんになり、浄土宗、浄土真宗、時宗などの浄土教宗派が成立した。

阿弥陀如来像は質素な形で如来の通相と呼ばれる姿をしています。小指を除く三指と親指で輪にした九品来迎印(くぼんらいごういん)を結んでいるのが特徴です。

 

 観音菩薩(かんのんぼさつ)観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)

世の人々の音声を観じてその苦悩から救済する菩薩。人々の姿に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となるといいその姿は六観音・三十三観音などに表される。勢至菩薩とともに阿弥陀仏の脇侍となる。化仏のついた宝冠をかぶり、天衣、裙(くん)を着け、瓔珞、鐶釧(かんせん)で身を飾り蓮華を手にして蓮華座の上に立像または坐像の姿で表現される。

 

 勢至菩薩(せいしぼさつ)

知恵の光で生あるものすべてをすくうという菩薩。阿弥陀三尊のひとつ。観世音菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍となる。姿は観世音菩薩とほとんどおなじで冠に宝瓶をのせている。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

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