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あの頂を越えて

神社参拝

~神社を訪ねて~

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~神社参拝:神社を訪ねて~

 小室浅間神社(下浅間)

 寺社の種類:旧郷社、別表神社
 創建の時期:(伝)大同2年(807年)
 本殿の様式:-
 所在地:山梨県富士吉田市下吉田5221
 訪問日:2017年10月9日

 

社伝によれば、延暦12年(793年)征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の際、富士山を遙拝して戦勝を祈願しました。戦勝後の大同2年(807年)神恩に感謝して社殿を造営したのが始まるとされる古い神社です。

小室浅間神社の石柱
狭い参道の先に赤い鳥居
参道に水天宮
朱塗りの鳥居

9月行われる例祭では流鏑馬神事が有名です。地元では「うまっとばかし」と呼ばれ、馬の走った足跡で占いを行う珍しいものとか。富士吉田市の無形民俗文化財に指定されていると言います。

境内に奉納碑や石塔
ご神馬舎
ご神馬の案内
ご神馬の牧舎
恵比寿神社
見ざる、聞かざる、言わざる

このためもあって境内にはご神馬が飼われています。ご神馬の像などが祀られる神社は多いものの生きた馬が飼われている神社は珍しいものです。

参道の奥には狛犬に守られた拝殿があります。拝殿に掲げられた神額には「天柱国鎮 この木当社地神代の老杉成、恭って造る扁額、以て紀念集?を為す」と読めそうです。

五社神社
手水舎
由緒書き
神札授与所

社殿の裏には護良親王を祀る大塔の宮桂木古跡があります。護良親王は後醍醐天皇の第1皇子。建武中興で活躍したがそののち足利尊氏と対立し土牢に幽閉され殺害されました。

拝殿
拝殿の軒に神額
拝殿の内部
大塔宮桂木古跡

親王の首は西へ逃げる妃の雛鶴姫が携えたが、雛鶴姫は途中の都留市朝日曽雌で息絶えたと言います。親王の首は桂の木の下に埋葬されたとされています。同じような言い伝えは戸塚の護良親王首洗井戸にも残っています。

忠魂碑
富士山溶岩流の原形

その奥には富士山の溶岩の原形と呼ばれる小さな岩山があります。ここは剣丸尾溶岩流と呼ばれるところかでしょうか、数千年前富士山頂から川口周辺まで流れた溶岩流で吉田周辺で現在みられるところはここだけとされています。

関連記録・コース

 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)神阿多都比売命(かむあたつひめのみこと)、葦津姫命(かやつひめのみこと)

日本神話に登場する神様。古事記では瓊々杵命(ににぎのみこと)の妻となります。富士山の神とされ各地の浅間神社で祀られています。子育ての神、子安神としても篤く信仰されています。

 

 坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)

758~811年、平安初期の武将。延暦13年(794年)蝦夷を征討し征夷大将軍となった。その後、胆沢城(いさわじょう)を造営し蝦夷地平定に功を残した。京都の清水寺の創建者と伝えられる。

 

 護良親王(もりよししんのう)・大塔宮(おおとうのみや)

1308~1335年、後醍醐天皇の皇子。天台座主となる。元弘の乱に僧兵を率いて活躍、還俗て名を護良と改める。建武中興で征夷大将軍・兵部卿。のち足利尊氏と対立し鎌倉に幽閉される。

 

 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)/尊治(たかはる)

第96代天皇(在位:1318年3月29日~1339年8月15日)後宇多天皇の皇子。親政を企てて正中の変、元弘の変に敗れ、隠岐に流された。1333年脱出し新田義貞足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。

のち公武の不和から親政は失敗し尊氏らも離反、36年吉野に移り南朝を立てた。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

 邇邇芸命・瓊瓊杵尊・瓊々杵尊・彦火瓊瓊杵・火瓊瓊杵(にぎにぎのみこと)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)

日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。

 

 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)/尊治(たかはる)

第96代天皇(在位:1318年3月29日~1339年8月15日)後宇多天皇の皇子。親政を企てて正中の変、元弘の変に敗れ、隠岐に流された。1333年脱出し新田義貞足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。

のち公武の不和から親政は失敗し尊氏らも離反、36年吉野に移り南朝を立てた。

 

 元弘の乱(げんこうのらん)・元弘の変(げんこうのへん)

1331年(元弘元年)後醍醐天皇によって起こされた政変。鎌倉幕府の討幕を企てて露顕し、天皇は捕らえられ隠岐に流された。天皇の隠岐脱出に呼応して諸将が蜂起、幕府は倒れ建武の中興をみるに至った。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

 新田義貞(にったよしさだ)

1301~1338年、鎌倉末期・南北朝時代の武将。元弘3年(1333年)鎌倉幕府を滅ぼし建武政権から重用された。のち足利尊氏と対立、兵庫で楠木正成(くすのきまさしげ)とともに九州から東上する尊氏と戦ったが敗れ、恒良・尊良両親王を奉じて越前金崎城によったが落城。藤島の戦いで討ち死にした。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

 室町幕府(むろまちばくふ)

足利氏が京都に開いた幕府。1336年足利尊氏の建武式目制定をもって創始された武家政権。鎌倉幕府の制度・機構をほぼ継承して発足し、南北朝合体によって全国統一政権となった。しかし守護領国制の発展による地方分権化に対抗しえず、特に応仁の乱以降は、群雄割拠の戦国時代と化し1573年一五代義昭が織田信長に追放され滅亡。

 

 元弘の乱(げんこうのらん)・元弘の変(げんこうのへん)

1331年(元弘元年)後醍醐天皇によって起こされた政変。鎌倉幕府の討幕を企てて露顕し、天皇は捕らえられ隠岐に流された。天皇の隠岐脱出に呼応して諸将が蜂起、幕府は倒れ建武の中興をみるに至った。

 

 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)/尊治(たかはる)

第96代天皇(在位:1318年3月29日~1339年8月15日)後宇多天皇の皇子。親政を企てて正中の変、元弘の変に敗れ、隠岐に流された。1333年脱出し新田義貞足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。

のち公武の不和から親政は失敗し尊氏らも離反、36年吉野に移り南朝を立てた。

 

 光明天皇(こうみょうてんのう)

北朝第2天皇(在位:1336年8月15日~1348年10月27日)後伏見天皇の皇子。足利尊氏に擁立され光厳天皇のあとを受けて即位。崇光天皇に譲位し院政を行なった。

 

 室町幕府(むろまちばくふ)

足利氏が京都に開いた幕府。1336年足利尊氏の建武式目制定をもって創始された武家政権。鎌倉幕府の制度・機構をほぼ継承して発足し、南北朝合体によって全国統一政権となった。しかし守護領国制の発展による地方分権化に対抗しえず、特に応仁の乱以降は、群雄割拠の戦国時代と化し1573年一五代義昭が織田信長に追放され滅亡。

 

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