龍神伝説が残る田村神社は讃岐の国一の宮神社、社伝によると和銅二年(709年)に創建された古い歴史をもつ神社です。讃岐平野の中央に位置しその地下には伏流水が流れ水の神が祀られたことが始まりとされています。
社伝によると、本殿の奥にある奥殿の床下には定水井と呼ばれる深淵がり、真夏でも冷たい空気が流れており、「底なしの深淵」ともよばれていて、決して覗いてはいけないという言い伝えられています。そこには水の神である竜が住んでいるとされています。
広い駐車場の先は表参道となっておりその先はことでんの線路まで続いていました。たくさんの奉納石碑などが続く参道には注連柱や石鳥居、狛犬、石灯籠などが建っています。
大きな石鳥居をくぐると田村神社の本殿です。祭神は倭迹迹日百襲姫命、五十狭芹彦命 (吉備津彦命)、 猿田彦大神、天隠山命 (高倉下命)、天五田根命 (天村雲命)の五柱で地元の古い歴史に因んだ神とされています。
田村神社の傍には末社の宇都伎神社、さらにその右隣には素婆倶楽社、天満宮が並んでいます。
日本神話に登場する神。天孫降臨に登場する神で、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神です。伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされ、中世には庚申信仰や道祖神と結びつきました。
日本書記によると天孫降臨に随伴した神々のなかの一神です。神武天皇の御東征の際に窮地を救った神で、のちに御子天五田根命と共に紀伊国より讃岐に渡り山河をもって国郡の境界を分つなど開拓水利の基を定めました。
饒速日命(にぎはやひのみこと)の孫、天香山命(あめのかぐやまのみこと)の子。天孫降臨ののち、葦原中国の水質がよくないため天照大神の命をうけ改良したとされています。
日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。
十干十二支の一つ庚申の日の禁忌を中心とする信仰。中国では道教の説で庚申の夜睡眠中に体内の三尸虫(さんしちゅう)が逃げ出してその人の罪を天帝に告げると言い虫が逃げぬよう徹夜する風習があった。
日本書記によると天孫降臨に随伴した神々のなかの一神です。神武天皇の御東征の際に窮地を救った神で、のちに御子天五田根命と共に紀伊国より讃岐に渡り山河をもって国郡の境界を分つなど開拓水利の基を定めました。
日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。