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あの頂を越えて

神社参拝

~神社を訪ねて~

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~神社参拝:神社を訪ねて~

 遠石八幡宮

 寺社の種類:県社
 創建の時期:622年(推古天皇30年)と伝えられる
 本殿の様式:-
 所在地:山口県周南市遠石2-3-1
 訪問日:2016年9月1日

 

山口県周南市遠石にある神社です。祭神は応神天皇(品陀和気命)社伝によると推古天皇30年(622年)宇佐八幡宮のお告げにより神霊を奉安して和銅元年(708年)社殿を造営しました。平安時代には京都の石清水八幡宮別宮となり本朝四所八幡の一つとも称されました。江戸時代には徳山藩の氏神として歴代藩主が崇敬しました。

参道に石鳥居
狛犬
参道の石燈籠
御手水場
参道に神門
遠石八幡宮の由緒書き
大きな拝殿
拝殿の脇に狛犬
拝殿の脇に狛犬
拝殿の内部
遠石八幡宮の本殿
遠石八幡宮の拝殿
新宮速玉神社の鳥居
境内に牛の像
速玉神社の由緒書き
松前稲荷神社
稲荷神社の境内に石祠
参道の石灯籠

境内には遠石会館と言う結婚式場があります。歓送迎会・会議・忘新年会・同窓会などの会場としても利用されているようです。

関連記録・コース

 八幡大神(やはたのかみ・はちまんおかみ)誉田別命、品陀別命(ほんだわけのみこと)

日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から弓矢八幡として崇敬を集めました。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされます。

また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)として神宮寺が祀られました。

 

 応神天皇(おうじんてんのう)譽田別尊(ほんだわけのみこと)八幡大神(やはたおおかみ)

第15代天皇(在位:270年1月1日~310年2月15日 )仲哀天皇の第4皇子、母は神功皇后。神功皇后が新羅へ渡ったときに身篭っていたことから胎中天皇などと呼ばれています。

大和朝廷の勢力が飛躍的に発展した時期で一説に中国の歴史書に記述のある倭の五王の一人、讃とする説があります。

6世紀前半に在位したとされる第26代継体天皇以前の天皇については、第21代雄略天皇を別として実在の可能性が薄いという見解があります。

 

 神功皇后(じんぐうこうごう)氣長足姫尊・息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)

仲哀天皇の皇后、父は開化天皇の曾孫、母は新羅から但馬に来住したという天之日矛(あめのひぼこ)の玄孫たかぬかひめ。

三韓征伐の中心人物で仲哀天皇が熊襲を討つため九州に赴き筑紫の橿日宮で急死すると、妊娠中にもかかわらず武内宿禰とはかり新羅に遠征したとされています。

この遠征により百済と高句麗も日本に帰服ししました。皇后は大和に戻ってから応神天皇を皇太子に立てて約 70年間皇太子の摂政としてみずから政治をとったと言われています。

 

 継体天皇(けいたいてんのう)・男大迹尊(おおどのみこと)

第26代天皇(在位:507年2月4日~531年2月7日)武烈天皇没後嗣子がなく、大伴金村・物部麁鹿火(あらかび)らに越前から迎えられて河内で即位したと伝えられる。 このころ朝鮮半島における日本の勢力は衰え、筑紫では磐井(いわい)の乱が起こった。

 

 雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)・大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけのみこと)

第21代天皇(在位:456年11月13日~479年8月7日)允恭天皇(いんぎようてんのう)第五皇子。宋書に見える倭王武とされる。

 

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