宮尾城(宮尾ノ城、要害山) 


 城郭の構造:連郭式平山城
 築城の時期:天文24年(1555年)5月
 廃城の時期:-
 主な城主:毛利氏、己斐直之
 所在地:広島県廿日市市宮島町
 訪問日:2016年8月29日

 

宮尾城は宮島の要害山と呼ばれる標高30mの丘に築かれた平山城です。弘治元年(1555年)陶晴賢と対峙した毛利元就は平地での戦いを不利とし陶の軍勢を宮島におびき寄せます。

要害山への石段
要害山の道標
ここは堀切の跡か
要害山に今伊勢神社

9月21日、陶の軍勢は塔の岡(現在の五重塔)に布陣し宮尾城を攻めます。同30日折からの暴風をついて包ヶ浦に上陸した毛利元就は博打尾根から陶軍に襲い掛かり戦国の三大奇襲戦と言われる厳島合戦がこの地で繰り広げられました。

要害山の山頂
要害山から眺める塔の岡
厳島合戦の案内板
塔の岡の古戦場

陶晴賢は大元浦に敗走するも討死、これにより毛利氏は瀬戸内海の覇権を握ることとなります。

 陶晴賢(すえはるかた)

1521~1555年、室町末期の武将。主君大内義隆にそむいて自刃に至らしめその領国を掌握。厳島の戦い毛利元就に敗れて自害。

 

 毛利元就(もうりもとなり)

1497~1571年、戦国時代の武将。大内義隆が家臣陶晴賢(すえはるかた)に倒されたのち、陶氏を討って周防・長門を支配下に収めた。出雲の尼子氏を倒して中国地方10か国を制覇。一族の結束を固めるための三本の矢の教訓が有名。

 

 厳島合戦(いつくしまがっせん)・厳島の戦(いつくしまのたたかい)

天文24年10月1日(1555年10月16日)安芸国厳島で毛利元就陶晴賢との間で行なわれた合戦で、日本三大奇襲の一つです。

 

 厳島合戦(いつくしまがっせん)・厳島の戦(いつくしまのたたかい)

天文24年10月1日(1555年10月16日)安芸国厳島で毛利元就陶晴賢との間で行なわれた合戦で、日本三大奇襲の一つです。

 

 毛利元就(もうりもとなり)

1497~1571年、戦国時代の武将。大内義隆が家臣陶晴賢(すえはるかた)に倒されたのち、陶氏を討って周防・長門を支配下に収めた。出雲の尼子氏を倒して中国地方10か国を制覇。一族の結束を固めるための三本の矢の教訓が有名。

 

 陶晴賢(すえはるかた)

1521~1555年、室町末期の武将。主君大内義隆にそむいて自刃に至らしめその領国を掌握。厳島の戦い毛利元就に敗れて自害。

 

 毛利元就(もうりもとなり)

1497~1571年、戦国時代の武将。大内義隆が家臣陶晴賢(すえはるかた)に倒されたのち、陶氏を討って周防・長門を支配下に収めた。出雲の尼子氏を倒して中国地方10か国を制覇。一族の結束を固めるための三本の矢の教訓が有名。

 

 陶晴賢(すえはるかた)

1521~1555年、室町末期の武将。主君大内義隆にそむいて自刃に至らしめその領国を掌握。厳島の戦い毛利元就に敗れて自害。

 

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