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あの頂を越えて

神社参拝

~神社を訪ねて~

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~神社参拝:神社を訪ねて~

 諏訪御霊両大神

 寺社の種類:神社
 創建の時期:永正9年(1512年)
 社殿の様式:-
 所在地:神奈川県鎌倉市植木96
 訪問日:2015年8月13日

 

北条早雲玉縄城の守護神として勧請したとされる神社で元和5年(1619年)にこの地に移されたとされています。その時点で鎌倉権五郎景政一門の霊を祭った御霊神社と合祀されました。

鳥居の脇に石灯籠
参道に社務所
参道に石碑
急な石段を登って
境内に神楽殿
拝殿
御手水場
拝殿脇には神木か
拝殿の奉納額
拝殿の内部

鎌倉市植木の鎮守の社として祭礼が執り行われているようで、入り口には祭礼を案内する看板が掲げられていました。

 

関連記録・コース

 建御名方神(たけみなかたのかみ)

日本神話に登場す神様、大国主命の子。武甕槌神(たけみかづちのかみ)らが葦原の中つ国の国譲りを大国主命に迫ったとき、武甕槌神と力比べを行ったが敗れて信濃諏訪湖に逃れ、この地から出ないと誓った。諏訪大社の祭神です。

 

 北条早雲(ほうじょうそううん)

1432~1519年、室町後期の武将。後北条氏の祖。初め伊勢新九郎長氏と称し出家して早雲庵宗瑞と号す。駿河の今川氏を頼って次第に頭角を現した。のち堀越公方の足利茶々丸を倒して伊豆韮山にらやまに進出した。小田原を本拠として南関東制覇の基礎を築いた。

 

 平景正(たいらのかげまさ)鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)

平安末期の武士。源義家に属して後三年の役に従軍、右眼を射られながら相手を討ち取った。大庭氏の祖。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 武甕槌神・建御雷神(たけみかづちのかみ)

日本神話に登場する神様。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生した神です。国譲りでは経津主神(ふつぬしのかみ)とともに、葦原の中つ国に派遣されます。また神武東征においても、天皇の危難を救ったとされる神です。20140913_01鹿島神宮の祭神。

 

 後北条氏(ごほうじょう)

伊勢宗瑞(北条早雲)を始祖とし、氏綱、氏康、氏政、氏直と5代にわたり相模の小田原城を本拠として関東に雄飛した戦国大名。北条早雲は1476年(文明8年)に今川家内紛の調停役として歴史の舞台に登場した。

やがて駿河の興国寺城主となり、1491年(延徳3)には足利茶々丸を討って伊豆を平定し韮山城に移る。1495年(明応4)小田原城に大森藤頼を攻めてこれを奪い関東進出の第一歩をしるした。

 

 堀越公方(ほりごえくぼう)

古河公方に対抗するため上杉氏は幕府に新たな鎌倉公方の下向を求めました。幕府は将軍義政の弟足利政知(あしかがまさとも)を東下させましたが、鎌倉に入ることができず伊豆の堀越に御所を構えました。

延徳3年(1491年)あとを継いだ子の茶々丸が北条早雲に攻められ滅亡。

 

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