筋違橋(筋替橋) 


 観光地の種類:史跡
 所在地:神奈川県鎌倉市雪ノ下3丁目
 訪問日:2015年5月22日

 

鎌倉十橋の一つです。名の由来はくの字に架かっていたためと言われています。宝治元年(1247年)の宝治合戦では北条時頼の外祖父、安達景満盛が有力御家人、三浦泰村を攻めたところです。この合戦により三浦氏は滅びました。

筋違橋の石碑

 宝治合戦(ほうじかっせん)・三浦氏の乱(みうらのらん)

鎌倉時代中期に起こった鎌倉幕府の内乱。執権北条氏と有力御家人三浦氏の対立から宝治元年(1247年)6月5日に鎌倉で武力衝突が起こり、北条氏と外戚安達氏らによって三浦一族とその与党が滅ぼされた。得宗専制政治が確立する契機とされている。

 

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