二本松城(霞ヶ城、白旗城) 


 城郭の構造:梯郭式平山城
 築城の時期:応永21年(1414年)畠山満泰
 廃城の時期:明治5年(1872年)
 主な城主:畠山氏、二本松氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、丹羽氏
 所在地:福島県二本松市郭内3丁目
 訪問日:2015年5月1日

 

築城は畠山満泰が応永21年にこの地に居を構えたとされます。天正14年(1586)に伊達政宗により畠山氏が滅ぼされると、豊臣秀吉の奥州仕置により会津領に組み入れられました。

そそり立つ石垣
二本松少年隊の像
二本松少年隊の像
石段を登って行きます
箕輪門の案内板
二本松城の案内板

蒲生氏、上杉氏、松下氏、加藤氏を経て寛永20年(1643年)丹羽光重が10万700石で入封し、二本松藩の居城として明治維新に至りました。

箕輪門
箕輪門
箕輪門の松
相生滝
智恵子の藤棚
智恵子の藤棚

慶応4年(1868年)、戊辰戦争では12歳から17歳の少年が出陣しました。場内には二本松少年隊を顕彰する石碑が建っています。

智恵子の藤棚
霞池
本丸石垣の案内
二本松藩士自尽の地
場内路
日影の井戸

復元された箕輪門をくぐると鶴ヶ城公園として整備された庭園が広がります。霞池の辺には今を盛りに藤の花が咲いていました。

本丸石垣の案内
本丸石垣
蔵屋敷跡
乙森
二本松城の案内板
本丸の石垣

木立の中を登って行くと本丸の石垣がそびえています。石垣の修復に関する案内板には江戸時代の初期から後期にかけての石積み技法に関しての説明がありました。また近くには古い石垣を移築した展示もありました。

本丸復元の案内板
本丸下に自尽の石碑
本丸から眺める蔵王の山々
西櫓台
天守台
本丸虎口

本丸入り口を登ると天守台跡に建つことが出来ます。木立の先には遠く蔵王の山並みも見えていました。

石垣の下に三角点
石垣の案内板
古い石垣
移築された古い石垣
移築された古い石垣
古い石垣の案内板

 

関連記録・コース

 伊達政宗(だてまさむね)

1567~1636年、安土桃山・江戸初期の武将。仙台藩祖。隻眼・果断の故をもって独眼竜と称される。出羽米沢を根拠に勢力を拡大したが、豊臣秀吉に帰服、文禄の役に出兵した。関ヶ原の戦いでは徳川方。戦後、仙台藩62万石を領した。家臣支倉常長をローマに派遣した。

 

 豊臣秀吉(とよとみひでよし)

1536~1598年、安土桃山時代の武将。織田信長に仕え戦功をたて羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一した。

天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり豊臣を賜姓。検地・刀狩りなどを行い兵農分離を促進した。明国征服を志して朝鮮に出兵したが戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。

 

 戊辰戦争(ぼしんせんそう)

王政復古によって成立した新政府が反抗する諸藩軍や旧幕府残存勢力を武力をもって平定し統一国家の基礎を固めることになった内乱。戦乱は1868年(明治1)から69年5月まで1年半に及んだ。鳥羽・伏見の戦いに勝利した政府軍は、4月江戸城を接収、上野にこもる彰義隊はじめ関東各地で旧幕府主戦派を討滅、奥羽越列藩同盟を結んで対抗する諸藩をも会津戦争を頂点に10月には帰順させた。翌年5月、最後の拠点箱館五稜郭を陥落させ内戦は終結、明治国家確立への途が開かれた。

 

 豊臣秀吉(とよとみひでよし)

1536~1598年、安土桃山時代の武将。織田信長に仕え戦功をたて羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一した。

天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり豊臣を賜姓。検地・刀狩りなどを行い兵農分離を促進した。明国征服を志して朝鮮に出兵したが戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。

 

 文禄の役(ぶんろくのえき)

文禄元年(1592年)豊臣秀吉が明の征服を目的に朝鮮に出兵した侵略戦争。約16万の軍を釜山に上陸させ明の国境まで進出したが、明の援軍、朝鮮水軍の攻撃や民衆蜂起などによって劣勢となり停戦。

 

 関ヶ原の戦

慶長5年(1600年)関ヶ原で石田三成らの西軍と徳川家康らの東軍とが天下を争った戦い。小早川秀秋の寝返りにより東軍が大勝した。石田三成らは処刑され豊臣秀頼は60万石の大名に転落した。これにより徳川氏の覇権が確立した。

 

 織田信長(おだのぶなが)

1534~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。織田信秀の子。桶狭間に今川義元を討って尾張一国を統一。京都に上って比叡山を焼き、浅井氏・朝倉氏を破り、将軍足利義昭(あしかがよしあき)を追放、武田勝頼を三河の長篠に破った。中国出陣の途中、京都本能寺で明智光秀の謀反にあった。

 

 豊臣秀吉(とよとみひでよし)

1536~1598年、安土桃山時代の武将。織田信長に仕え戦功をたて羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一した。

天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり豊臣を賜姓。検地・刀狩りなどを行い兵農分離を促進した。明国征服を志して朝鮮に出兵したが戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。

 

 明智光秀(あけちみつひで)

1528~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。美濃の生まれ。織田信長に重用されたが、1582年6月2日、京都本能寺に信長を襲い自害させた。山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れ逃走中土民に殺された。

 

 柴田勝家(しばたかついえ)

1522~1583年、安土桃山時代の武将。織田信長の臣。越前北ノ庄に拠って北陸を支配。本能寺の変後、豊臣秀吉と対立、賤ヶ岳の戦いに敗れ北ノ庄で自害した。

 

TAG:日本百名城
 訪問者数 今月:29件
 Back