御霊神社(権五郎神社) 


 寺社の種類:村社
 創建の時期:平安時代後期と推定
 主祭神:鎌倉権五郎景政
 本殿の様式:-
 所在地:神奈川県鎌倉市坂ノ下4-9
 訪問日:2015年1月29日

 

関東平氏五家の始祖、鎌倉氏、梶原氏、村岡氏、長尾氏、大庭氏の霊を祀った神社であったとされ、五霊から転じて御霊神社と通称されるようになったと言います。後に鎌倉権五郎景政の一柱のみに祭神は集約され権五郎神社とも呼ばれました。

五霊神社の石柱
江ノ電の線路を越えると鳥居
由緒書き
御霊神社の案内板
境内の先は江ノ電の線路
石鳥意をくぐると境内
稲荷社
秋葉神社
古い大鳥居
宝物庫に七福神の旗

また鎌倉七福神の福禄寿を祀る神社です。境内の宝物庫には福禄寿が安置されています。

石段の上に拝殿
拝殿
拝殿に龍の彫刻
御霊神社の神輿庫
石上神社の神輿庫
御霊神社の拝殿
石上神社
子持ちの狛犬
狛犬
八海山、御嶽山、三笠山の石碑
袂石、手玉石
夫婦銀杏
境内の先を電車が

境内には多くの摂社が祀られています。その一つ石上神社は前浜にあった巨石があり多くの船が難破したことから一部を引き上げ海上安全・豊漁の守護神としたものと言います。7月の例祭は御供流し神事(ごくながししんじ)が行われています。

関連記録・コース

 平景正(たいらのかげまさ)鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)

平安末期の武士。源義家に属して後三年の役に従軍、右眼を射られながら相手を討ち取った。大庭氏の祖。

 

 鎌倉・江の島七福神

鎌倉市・藤沢市にある8箇所の社寺から構成される七福神めぐりの札所。

浄智寺(布袋尊)、鶴岡八幡宮(旗上弁財天)、宝戒寺(毘沙門天)、妙隆寺(寿老人)、本覚寺(夷尊神)、長谷寺(大黒天)御霊神社(福禄寿)江島神社(江島弁財天)

 

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平安末期の武士。源義家に属して後三年の役に従軍、右眼を射られながら相手を討ち取った。大庭氏の祖。

 

 源義家(みなもとよしいえ)八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)

平安時代後期の武将、八幡太郎義家として知られる。比叡山等の強訴の頻発に際しその鎮圧や白河天皇の行幸の護衛に活躍する。前九年の役で父を助けて安倍氏を討ち後に陸奥国守となった。清原氏の内紛に介入して後三年の役を起こした。東国における源氏勢力の基盤をつくった。

 

 後三年の役(ごさんねんのえき)

平安後期の1083年から1087年、奥羽の豪族清原氏が起こした戦乱。清原氏内部の相続争いが発端であったが、陸奥守として下向した源義家が清原清衡(藤原清衡)とともに、清原家衡・武衡を金沢柵(かねざわのさく)に下して平定した。これにより清衡は平泉における藤原三代の基をつくり、義家は東国に源氏の勢力基盤を築いた。

 

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平安後期の1083年から1087年、奥羽の豪族清原氏が起こした戦乱。清原氏内部の相続争いが発端であったが、陸奥守として下向した源義家が清原清衡(藤原清衡)とともに、清原家衡・武衡を金沢柵(かねざわのさく)に下して平定した。これにより清衡は平泉における藤原三代の基をつくり、義家は東国に源氏の勢力基盤を築いた。

 

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