阿久和山観音寺 


 寺社の種類:曹洞宗の寺院
 創建の時期:元和元年(1615年)旗本・安藤治右衛門正珍が開基、快応孝頓大和尚が開山
 所在地:横浜市泉区新橋町1157
 訪問日:2014年7月2日

 

阿久和安藤氏は徳川家の旗本です。徳川家康の関東入国にあたり阿久和村一帯を知行しました。観音禅寺の開基、安藤正珍はその3代目にあたります。

石段の脇に観音禅寺の石柱
鎌倉観音霊場の札所
参道の先に本堂
鐘楼の前には六地蔵

ここは鎌倉郡観音霊場二十三番札所のお寺です。鎌倉郡観音霊場は江戸時代に定められた観音霊場です。しかし明治の廃仏毀釈の流れの中移転しまった寺や廃寺になったところもあるようです。

鎌倉三十三観音霊場は大正から昭和になって定められた観音霊場で、鎌倉を中心にした霊場です。

境内に庫裡
手水鉢の前に厄除け地蔵
大雄寶殿の扁額を掲げる観音堂
道泉閣
水子地蔵菩薩
観音禅寺の扁額を掲げる本堂
青銅の灯籠
境内に六地蔵

観音禅寺の石柱が建つ石段を登って行くと広い境内です。境内には六地蔵や厄除け地蔵、水子地蔵などが祀られていました。

 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

 聖観音菩薩・正観音菩薩(せいかんのん)

六道を教化する六観音の一つ、地獄道を化益するという。1面2臂が特徴とされる。

 

 鎌倉郡観音霊場

鎌倉近郊を中心として江戸時代に定められた観音霊場。明治の廃仏毀釈の流れの中移転しまった寺や廃寺もある。

1番 新清水寺(東京都中央区日本橋人形町)、2番 花光院跡、3番 寿福寺、4番 海蔵寺、5番 正覚寺、6番 報身院、7番 香蔵院、8番 来迎寺、9番 建長寺飛石山、10番 建長寺、11番 東慶寺、12番 円覚寺仏日庵、13番 亀井堂(市場公会堂)、14番 多聞院、15番 法安寺、16番 永林寺、17番 光明寺、18番 浄念寺、19番 長福寺、20番 円福寺、21番 蔵田寺、22番 清源院、23番 観音寺、24番 大石寺観音堂、25番 正法寺、26番 中田寺、27番 宝寿院(願行寺)、28番 大運寺、29番 玉泉寺、30番 燈明寺、31番 勝福寺、32番 二伝寺、33番 (宝国院)慈眼寺

 

 鎌倉郡観音霊場

鎌倉近郊を中心として江戸時代に定められた観音霊場。明治の廃仏毀釈の流れの中移転しまった寺や廃寺もある。

1番 新清水寺(東京都中央区日本橋人形町)、2番 花光院跡、3番 寿福寺、4番 海蔵寺、5番 正覚寺、6番 報身院、7番 香蔵院、8番 来迎寺、9番 建長寺飛石山、10番 建長寺、11番 東慶寺、12番 円覚寺仏日庵、13番 亀井堂(市場公会堂)、14番 多聞院、15番 法安寺、16番 永林寺、17番 光明寺、18番 浄念寺、19番 長福寺、20番 円福寺、21番 蔵田寺、22番 清源院、23番 観音寺、24番 大石寺観音堂、25番 正法寺、26番 中田寺、27番 宝寿院(願行寺)、28番 大運寺、29番 玉泉寺、30番 燈明寺、31番 勝福寺、32番 二伝寺、33番 (宝国院)慈眼寺

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

 鎌倉三十三観音霊場(かまくらさんじゅうさんかんのんれいじょう)鎌倉観音霊場(かまくらかんのんれいじょう)

大正から昭和初期にかけて設定された観音霊場で、江戸時代に成立した鎌倉郡三十三箇所をベースにされている。鎌倉郡三十三箇所と異なり、廃仏毀釈により廃絶・移転してしまった寺も存在した事から23箇所の霊場が新たに加えられている。

1番 大蔵山杉本寺、2番 金龍山宝戒寺、3番 祇園山安養院、4番 海光山長谷寺、5番 満光山来迎寺、6番 錦屏山瑞泉寺、7番 岩蔵山光触寺、8番 飯盛山明王院、9番 稲荷山浄妙寺、10番 功臣山報国寺、11番 帰命山延命寺、12番 中座山教恩寺、13番 稲荷山別願寺、14番 随我山来迎寺、15番 円龍山向福寺、16番 内裏山九品寺、17番 南向山補陀洛寺、18番 天照山光明寺、19番 天照山蓮乗院、20番 天照山千手院、21番 普明山成就院、22番 霊鷲山極楽寺、23番 大異山高徳院、24番 亀谷山寿福寺、25番 泉谷山浄光明寺、26番 扇谷山海蔵寺、27番 若昇山妙高院、28番 巨福山建長寺、29番 蓮菜山  龍峰院、30番 福源山明月院、31番 金宝山浄智寺、32番 松岡山東慶寺、33番 円覚寺仏日庵

 

 六地蔵(ろくじぞう)

六道のそれぞれにあって衆生の苦しみを救う6体の地蔵菩薩(ぼさつ)。地獄道の檀陀(だんだ)、餓鬼道の宝珠(ほうじゅ)、畜生道の宝印、修羅道の持地(じじ)、人間道の除蓋障(じょがいしょう)、天道の日光の各地蔵菩薩とするが異説もある。

 

 道元(どうげん)・承陽大師

鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

 神仏習合(しんぶつしゅうごう)神仏混淆(しんぶつこんこう)

日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)

釈迦の入滅後から弥勒菩薩が世に現れるまでの間、無仏の世に住み六道の衆生を教え導くことを誓いとした菩薩。慈愛に満ちた円満柔和な僧形で、多くは右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。

 

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