小國神社 


 寺社の種類:式内社(小)、遠江国一宮、旧国幣小社、別表神社
 創建の時期:欽明天皇16年(555年)と伝えられる
 主祭神:大己貴命
 社殿の様式:大社造
 所在地:静岡県周智郡森町一宮3956
 訪問日:2014年6月21日

 

本宮山の南側の山麓に鎮座する遠江国一宮神社。小国という社名は出雲の大国に対する遠江の美称と言います。

大きな石の鳥居
暗い杉木立の参道
社家神人を祀る鉾執社
木立の中に事待池

大きな石鳥居をくぐると杉木立の中に参道が続いています。事待池と呼ばれる池の近くには多くの摂社が祀られています。宗像社や八王子神社などが祀られていました。

陶器で造った森山焼の橋
宗像社は水徳の神
赤い橋の先に八王子神社
全国一宮等合殿社
ご神木大杉の根株
石鳥居の先に拝殿

石鳥居の脇には家康公立あがり石があります。案内板によると家康は三方原合戦の前年、小國神社に開運を祈願したりに奉りて開運を祈願しだり犬居城攻略の道すがら参拝しこの石に腰かけて休息されたと伝へられます。武田信玄の遠江・三河侵攻の歴史がこの付近でも繰り広げられていたようです。

家康公立ちあがり石
境内の奥に拝殿
境内に舞楽舎
境内に拝殿と信徳殿

境内の奥には拝殿があります。小國神社の神額を掲げた暗い拝殿では神職が祝詞をあげています。たくさんの神職や巫女さんなどもいるようでした。

境内の奥に拝殿
拝殿の脇に神徳殿
小國神社の神額を掲げる拝殿
大宝槌

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 大社造(たいしゃづくり)

日本古代の建築様式を残すもので、屋根は檜皮葺(ひわだぶ)きで切妻造り妻入り。代表例は出雲大社本殿。

 

 三方原の戦い(みかたがはらのたたかい)

1573年遠江の三方原で行われた武田信玄徳川家康との戦い。上洛を企てた信玄はまず遠江に侵入、堅固な浜松城を攻めずに家康軍と織田信長の援軍を三方原に誘いだして戦い大勝利をおさめた。

 

 武田信玄(たけだしんげん)

1521~1573年、戦国時代の武将。名は晴信。父、信虎を追放して家督を継ぎ信濃に進出する。越後の上杉謙信と川中島で激戦を展開した。1572年、西上の途次三方ヶ原(みかたがはら)で徳川家康を破ったが翌年三河の陣中で病没。軍略家としてすぐれ信玄家法を制定、鉱山開発・治水にも業績をあげた。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

 武田信玄(たけだしんげん)

1521~1573年、戦国時代の武将。名は晴信。父、信虎を追放して家督を継ぎ信濃に進出する。越後の上杉謙信と川中島で激戦を展開した。1572年、西上の途次三方ヶ原(みかたがはら)で徳川家康を破ったが翌年三河の陣中で病没。軍略家としてすぐれ信玄家法を制定、鉱山開発・治水にも業績をあげた。

 

 徳川家康(とくがわいえやす)東照大権現(とうしょうだいごんげん)

1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。

 

 織田信長(おだのぶなが)

1534~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。織田信秀の子。桶狭間に今川義元を討って尾張一国を統一。京都に上って比叡山を焼き、浅井氏・朝倉氏を破り、将軍足利義昭(あしかがよしあき)を追放、武田勝頼を三河の長篠に破った。中国出陣の途中、京都本能寺で明智光秀の謀反にあった。

 

 上杉謙信(うえすぎけんしん)長尾景虎(ながおかげとら)

1530~1578年、戦国時代の武将。越後守護代長尾為景の子。景虎、政虎、輝虎と改名する。越後春日山城にあって北陸地方一帯を領有、小田原北条氏、甲斐武田氏と対抗した。特に武田信玄との川中島の戦いは有名。

 

 徳川家康(とくがわいえやす)東照大権現(とうしょうだいごんげん)

1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。

 

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