topimg

あの頂を越えて

史跡探訪

~歴史の流れをを訪ねて~

あの頂を越えて

homeBtn backBtn

~歴史探訪~

 太田道灌の墓

 観光地の種類:史跡
 所在地:神奈川県伊勢原市上粕屋
 訪問日:2014年4月1日

 

太田道灌扇谷上杉家の家宰、江戸城の築城のほか岩槻、河越にも築城するなど武蔵、相模の有力武将の一人です。「七重八重 花は咲けども山吹の みのひとつだに なきぞ悲しき」の逸話でも知られる文武両道の武将です。

太田道灌公の墓の石柱
境内に石碑
太田道灌とヤマブキの花
太田道灌の宝篋印塔

太田道灌は文明18年(1486年)主君上杉定正の糟谷の館に招かれて謀殺されました。遺骸は上粕屋にある蟠龍山洞昌院で荼毘に付されたと言い境内の一角には宝篋印塔が祀られていました。

 太田道灌(おおたどうかん)

1432~1486年、室町中期の武将。上杉定正の執事となり江戸城を築城。山内上杉家の内紛を鎮圧したが、かえって扇谷上杉家の勢力増大を恐れた山内上杉顕定(あきさだ)方の讒言により、主君定正のため謀殺された。兵法に長じ、和漢の学問や和歌にもすぐれた。

 

 扇谷上杉(おうぎがつやうえすぎ)

上杉重顕を始祖とする上杉氏諸家の一つ。戦国時代には河越城に本拠を移し、武蔵国を拠点とする大名となり、南関東に勢力を扶植した。山内上杉と並び両上杉と称されるが、関東管領を務めたことはない。鎌倉の扇谷に屋敷を置いたことが家名の由来。

 

 上杉定正(うえすぎさだまさ)

1443~1494年、戦国時代の武将。扇谷上杉持朝の子。太田道灌を登用して勢威があがったが、山内上杉顕定の中傷によって道灌を暗殺。顕定との交戦中、陣中で没した。

 

 宝篋印塔(ほうきょういんとう)

宝篋印陀羅尼という呪文を収めた塔。のちに供養塔、墓碑塔として建てられた。方形の石を下から基壇、基礎、塔身、笠、相輪と積み上げ、笠の四隅に飾りの突起があるものをいう。

 

 上杉定正(うえすぎさだまさ)

1443~1494年、戦国時代の武将。扇谷上杉持朝の子。太田道灌を登用して勢威があがったが、山内上杉顕定の中傷によって道灌を暗殺。顕定との交戦中、陣中で没した。

 

 太田道灌(おおたどうかん)

1432~1486年、室町中期の武将。上杉定正の執事となり江戸城を築城。山内上杉家の内紛を鎮圧したが、かえって扇谷上杉家の勢力増大を恐れた山内上杉顕定(あきさだ)方の讒言により、主君定正のため謀殺された。兵法に長じ、和漢の学問や和歌にもすぐれた。

 

 上杉顕定(うえすぎあきさだ)

1454~1510年、室町から戦国時代の武将。山内上杉家をつぎ関東管領となり上野平井城を本拠に古河公方の足利成氏(うじしげ)と戦う。のち扇谷上杉定正(さだまさ)と爭う。

 

 Back