称名寺は金沢北条氏一門の菩提寺です。
鎌倉幕府の要人、北条実時が六浦荘金沢の屋敷内に建てた持仏堂が始まりとされ孫の貞顕の時代には三重の塔を含む七堂伽藍を持つ大寺院として全盛期を迎えました。
金沢山、稲荷山、日向山の金沢三山を背にして金堂、釈迦堂、鐘楼が建っています。梵鐘は金沢八景の称名寺の梵鐘として知られています。
稲荷山の山腹には北条実時の墓があります。中央の宝篋印塔が北条実時の墓で左右の五輪塔は一門の墓と言います。
金沢山の山頂は八角堂広場と呼ばれるところで、八角堂と変わった形の石祠が祀られています。
鎌倉時代の初め、叡尊が興した真言系の律宗。奈良の西大寺が本山。1895年(明治28年)一宗として独立。
矢倉沢往還は江戸赤坂門から足柄峠を経て沼津宿へと結ぶ街道です。律令時代には足柄道として整備されていました。延暦噴火(800-802年)により一時通行が困難になり鎌倉時代には湯坂道が東海道の本道となりました。
川崎市・横浜市・鎌倉郡域にある弘法大師八十八ヵ所を巡る霊場です。
1番 金剛山平間寺、2番 瑠璃光山真福寺、3番 大嶋山真観寺、4番 明王山成就院、5番 金澤山圓能院、6番 円明山延命寺、7番 瑠璃光山無量寺、8番 西光山東福寺、9番 龍宿山西明寺、10番 光明山金剛寺、11番 薬王山東漸寺、12番 愛宕山宝蔵院、13番 摩尼山長松寺、14番 子生山東福寺、15番 生麦山龍泉寺、16番 遍照院、17番 医光山薬王寺、18番 海運山能満寺、19番 平尾山東光寺、20番 神鏡山金蔵院、21番 洲崎山普門寺、22番 海浦山吉祥寺、23番 妙義山歓成院、24番 八幡山観音寺、25番 瑞雲山三会寺、26番 在田山香象院、27番 医王山遍照寺、28番 大仙寺、29番 羯摩山圓福寺、30番 金岸山安楽寺、31番 法亀山願成寺、32番 医王山東光寺、33番 東光山蓮華院、34番 東医山薬王寺、35番 福智山普門院、36番 光明山東福寺、37番 日明山大聖院、38番 成田山延命院、39番 大慈山玉泉寺、40番 海龍山増徳院、41番 東漸寺、42番 地福寺、43番 佛海山天徳寺、44番 醫王山多聞院、45番 東光山千蔵寺、46番 間門山東福院、47番 根岸山大聖院、48番 海向山金蔵院、49番 禪馬山
庚申待ち供養塔、主神として青面金剛のほか猿田彦大神、帝釈天、大日如来像が彫られるもの、庚申塔、青面金剛、猿田彦大神などの文字が彫られるものがある。
三猿や鶏、邪鬼、日月などが併せて彫られることが多い。
仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。
はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。
真言密教の教主。諸仏、諸菩薩の根元をなす理智体で宇宙の実相を仏格化した根本仏とされる。智徳の表現が金剛界大日、理徳の表現が胎蔵界大日とされ、天台宗では大日如来と釈迦如来は法身、応身で同体とし、真言宗では釈迦如来は顕教の教主とみて異体とする。
源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。