王子神社 


 寺社の種類:神社
 創建の時期:-
 主祭神:-
 社殿の様式:-
 所在地:神奈川県横浜市戸塚区柏尾町939
 訪問日:2014年1月1日

 

国道1号線に面した小さな岡の上に祀られた神社です。建武2年(1335年)、足利直義によって鎌倉の東光寺で殺害された護良親王の首を埋葬したところと伝えられています。

暗い杉林の参道
鳥居の脇に神事の案内
境内の手水舎奉納の石碑
手水舎
初詣客で賑わう拝殿
拝殿の脇に弁天社
拝殿の脇に子の神社
子の神社
忠魂碑
お鎮の松

拝殿の裏には護良親王の首を埋めたと言われるお鎮の松がありました。すでに立ち枯れてしまった大きな根だけが残っていました。

参道の奥には拝殿、その左右には豊受大神宮や子の神社、弁天社が祀られています。

 護良親王(もりよししんのう)・大塔宮(おおとうのみや)

1308~1335年、後醍醐天皇の皇子。天台座主となる。元弘の乱に僧兵を率いて活躍、還俗て名を護良と改める。建武中興で征夷大将軍・兵部卿。のち足利尊氏と対立し鎌倉に幽閉される。

 

 護良親王(もりよししんのう)・大塔宮(おおとうのみや)

1308~1335年、後醍醐天皇の皇子。天台座主となる。元弘の乱に僧兵を率いて活躍、還俗て名を護良と改める。建武中興で征夷大将軍・兵部卿。のち足利尊氏と対立し鎌倉に幽閉される。

 

 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)/尊治(たかはる)

第96代天皇(在位:1318年3月29日~1339年8月15日)後宇多天皇の皇子。大覚寺統。親政を企てて正中の変、元弘の変に敗れ、隠岐に流された。1333年脱出し新田義貞、足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。

のち公武の不和から親政は失敗し尊氏らも離反、36年吉野に移り南朝を立てた。陵墓は奈良県吉野郡吉野町吉野山の塔尾陵。

 

 元弘の乱(げんこうのらん)・元弘の変(げんこうのへん)

1331年(元弘元年)後醍醐天皇によって起こされた政変。鎌倉幕府の討幕を企てて露顕し、天皇は捕らえられ隠岐に流された。天皇の隠岐脱出に呼応して諸将が蜂起、幕府は倒れ建武の中興をみるに至った。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)/尊治(たかはる)

第96代天皇(在位:1318年3月29日~1339年8月15日)後宇多天皇の皇子。大覚寺統。親政を企てて正中の変、元弘の変に敗れ、隠岐に流された。1333年脱出し新田義貞、足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。

のち公武の不和から親政は失敗し尊氏らも離反、36年吉野に移り南朝を立てた。陵墓は奈良県吉野郡吉野町吉野山の塔尾陵。

 

 元弘の乱(げんこうのらん)・元弘の変(げんこうのへん)

1331年(元弘元年)後醍醐天皇によって起こされた政変。鎌倉幕府の討幕を企てて露顕し、天皇は捕らえられ隠岐に流された。天皇の隠岐脱出に呼応して諸将が蜂起、幕府は倒れ建武の中興をみるに至った。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

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