葛原岡神社~後醍醐天皇の側近、日野俊基を祀る神社~ 


 寺社の種類:神社
 創建の時期:1887年(明治20年)
 主祭神:日野俊基
 社殿の様式:-
 所在地:神奈川県鎌倉市山ノ内
 訪問日:2013年12月13日

 

葛原岡神社は後醍醐天皇の側近、日野俊基を祀る神社です。

葛原岡神社の鳥居
参道の傍に磨去る石
男石、女石の縁結び石
赤い糸で5円玉が供えられ
境内に合鎚稲荷
合鎚稲荷の赤い社

日野俊基は討幕計画の中心人物として元弘の変(1332年)で幕府に捕えられこの地で斬首されました。近くには墓や歌碑もあります。

境内の歌碑
葛原岡神社の神殿
葛原岡神社の案内板
昇運の神龍
日野俊基終焉の地
日野俊基の墓
日野俊基の墓
日野俊基の墓

源氏山公園の一角である境内はたくさんの観光客が訪れるところです。源氏山ハイキングコースの途中と言うこともあり軽装のハイカーも多く訪れていました。

関連記録・コース

 日野俊基(ひのとしもと)

?~1332年、鎌倉末期の廷臣。後醍醐天皇に登用されて蔵人頭となる。討幕運動に参加、正中の変で捕らえられたがのち許された。再び討幕の謀議が発覚、捕らえられ鎌倉で殺された。

 

 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)/尊治(たかはる)

第96代天皇(在位:1318年3月29日~1339年8月15日)後宇多天皇の皇子。大覚寺統。親政を企てて正中の変、元弘の変に敗れ、隠岐に流された。1333年脱出し新田義貞足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。

のち公武の不和から親政は失敗し尊氏らも離反、36年吉野に移り南朝を立てた。陵墓は奈良県吉野郡吉野町吉野山の塔尾陵。

 

 日野俊基(ひのとしもと)

?~1332年、鎌倉末期の廷臣。後醍醐天皇に登用されて蔵人頭となる。討幕運動に参加、正中の変で捕らえられたがのち許された。再び討幕の謀議が発覚、捕らえられ鎌倉で殺された。

 

 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)/尊治(たかはる)

第96代天皇(在位:1318年3月29日~1339年8月15日)後宇多天皇の皇子。大覚寺統。親政を企てて正中の変、元弘の変に敗れ、隠岐に流された。1333年脱出し新田義貞足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。

のち公武の不和から親政は失敗し尊氏らも離反、36年吉野に移り南朝を立てた。陵墓は奈良県吉野郡吉野町吉野山の塔尾陵。

 

 後宇陀天皇(ごうだてんのう)

第91代天皇(在位:1274年1月26日~1287年10月21日)亀山天皇の第2皇子。大覚寺統。1287年伏見天皇に譲位したが、その後続けて持明院統の後伏見天皇が即位したため、幕府に働きかけて後二条天皇を即位させて院政を行った。陵墓は京都府京都市右京区北嵯峨朝原山町の蓮華峯寺陵。

 

 新田義貞(にったよしさだ)

1301~1338年、鎌倉末期・南北朝時代の武将。元弘3年(1333年)鎌倉幕府を滅ぼし建武政権から重用された。のち足利尊氏と対立、兵庫で楠木正成(くすのきまさしげ)とともに九州から東上する尊氏と戦ったが敗れ、恒良・尊良両親王を奉じて越前金崎城によったが落城。藤島の戦いで討ち死にした。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)/尊治(たかはる)

第96代天皇(在位:1318年3月29日~1339年8月15日)後宇多天皇の皇子。大覚寺統。親政を企てて正中の変、元弘の変に敗れ、隠岐に流された。1333年脱出し新田義貞足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。

のち公武の不和から親政は失敗し尊氏らも離反、36年吉野に移り南朝を立てた。陵墓は奈良県吉野郡吉野町吉野山の塔尾陵。

 

TAG:鎌倉・源氏山 2013年12月13日
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