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神社参拝

~神社を訪ねて~

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~神社参拝:神社を訪ねて~

 旗揚弁天~鶴岡八幡宮の源平池に祀られた弁財天~

 寺社の種類:神社
 創建の時期:1182年(寿永元年)、北条正子と伝えられる
 主祭神:弁財天
 社殿の様式:-
 所在地:神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目
 訪問日:2013年12月9日

 

鶴岡八幡宮の源平池には旗揚げ弁財天社が祀られています。

社殿によると1182年(寿永元年)、北条正子が平家滅亡を祈願し鎌倉八幡宮の境内に源平池を掘り、その中島に弁財天社を祀ったのが始まりとされています。

中の島には白い奉納旗
社殿を伝える案内板
藤棚の先に赤い社
弁財天を祀る赤い社

1221年(承久3年)の承久の乱では鎌倉幕府軍がこの地で旗揚げして戦勝を祈願したといわれているところです。

赤い社が祀られた中島にはたくさんの奉納旗が立っていました。

関連記録・コース

 弁才天・弁財天(べんざいてん)

インドの河神で音楽・智恵・財物の神として吉祥天とともに広く信仰された女神。

仏教に取り入れられ吉祥天と同一視されるようになった。八本の手で各種の武具を持つ像もあるが、鎌倉時代には二手で琵琶を持つ女神像が一般化した。日本では七福神の一人として民衆の信仰を集めてきた。

 

 鎌倉・江の島七福神

鎌倉市・藤沢市にある8箇所の社寺から構成される七福神めぐりの札所。

浄智寺(布袋尊)、鶴岡八幡宮(旗上弁財天)、宝戒寺(毘沙門天)、妙隆寺(寿老人)、本覚寺(夷尊神)、長谷寺(大黒天)御霊神社(福禄寿)江島神社(江島弁財天)

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 吉祥天(きちじょうてん)

インド神話の神でビシュヌ神の妃とされた。仏教では徳叉迦(とくさか)を父に、鬼子母神(きしもじん)を母に生まれ、毘沙門天の妃とされる。仏法を護持する天女。天衣宝冠を着け左手に如意宝珠を捧げ持つ。

 

 後鳥羽天皇(ごとばてんのう)

第82代天皇(在位:1183年8月20日~1198年1月11日、高倉天皇の第4皇子。祖父後白河法皇の院政下、神器継承なしに即位し、譲位後、土御門(つちみかど)・順徳・仲恭(ちゅうきょう)3帝にわたって院政を執った。北条義時追討を謀って承久の乱を起こしたが失敗、隠岐(おき)に流された。蹴鞠・琵琶・笛などの芸能や和歌にもひいで新古今集を勅撰した。

 

 北条義時(ほうじょうよしとき)

1163~1224年、鎌倉幕府第2代執権。在職1205~1224。北条時政の次男。父時政の失脚ののち執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、北条氏の執権政治を固めた。

 

 六波羅探題(ろくはらたんだい)

承久の乱後、京都の政情を監察しかつ治安を維持するために設置した、政務・軍事を統轄する執政官。南北二名を定員とし西国諸国の訴訟を聴断するとともに、有事の際は在京人をはじめとする京都近国の御家人を指揮する権限が与えられていた。

 

TAG:鶴岡八幡宮 2013年12月1日,円海山・大丸山から鎌倉へ 2013年12月9日
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