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あの頂を越えて

寺院参拝

~お寺を訪ねて~

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~寺院参拝:お寺を訪ねて~

 拈華山霊山院

 寺社の種類:臨済宗妙心寺派
 創建の時期:建久8年(1197年)
 所在地:埼玉県比企郡ときがわ町大字西平445
 訪問日:2012年2月16日

 

霊山院は建久8年(1197年)に創建された古刹です。開山は臨済宗開祖の栄西禅師の高弟、栄朝禅師で、後鳥羽天皇から勅命を受け「東関最初禅窟」の勅額を賜っています。山中に75の僧坊を数えたと言われる慈光寺の塔頭の一つですが、現存する塔頭はこの霊山院のみです。

霊山院の案内板
簡素な山門
霊山院の境内
石仏や石塔が祀られた境内
霊山院の本堂
霊山院の参道

このお寺を訪れたのは堂平山から都幾川トレッキングコースをたどり慈光寺へと向かう途中です。参道の先には簡素な山門があります。二月の言葉と題された掲示板に「小慾知足を福と名づくべし、大欲不足を貧と名づくべし」と書かれていました。

山口の瑠璃光寺で知足の手水鉢を見たことがありますが、まさに現代の世の中が忘れていることの一つが「足るを知る」かもしれません。

関連記録・コース

 臨済宗妙心寺派(りんざいしゅうみょうしんじは)

日本仏教の一宗派。臨済宗一四派の一つです。本山は京都の妙心寺、派祖は関山慧玄。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 阿難陀(あなんだ)阿難尊者(あなんそんじゃ)

釈迦の十大弟子の一人。師の説法を最も多く聞き多聞第一とよばれた。記憶力にすぐれ経典の第一結集(けつじゅう)の際に多くの経説を復唱したという。

 

 迦葉(かしょう)迦葉尊者(かしょうそんじゃ)

釈迦十大弟子の一人。頭陀第一といわれた。婆羅門の出身で釈迦の入滅後教団を指導し、第1回の経典結集(けつじゅう)を行った。

 

 臨済宗(りんざいしゅう)

禅宗の一派。鎌倉初期に入宋した明庵栄西(みようあんえいさい)が黄竜派の禅を伝えたのに始まる。鎌倉・室町時代に大いに興隆し、室町幕府は五山の制をつくって保護した。

 

 栄西(えいさい)

1141~1215年、鎌倉初期の禅僧。日本の臨済宗の開祖。上房・千光国師と号す。比叡山で天台の教義を学び二度入宋し、臨済禅を伝え帰る。幕府の帰依をうけ鎌倉に寿福寺を建立。京に建仁寺を創建して天台・真言・禅の三宗兼学の道場とし禅宗の拡大に努めた。

 

 栄朝(えいちょう)釈円栄朝(しゃくえんえいちょう)

1165~1247年、鎌倉時代の臨済宗の僧。顕密二教をおさめたのち、明庵(みょうあん)、栄西(えいさい)にまなび印可をうける。上野世良田に長楽寺をひらき関東に禅をひろめた。

 

 後鳥羽天皇(ごとばてんのう)

第82代天皇(在位:1183年8月20日~1198年1月11日、高倉天皇の第4皇子。祖父後白河法皇の院政下、神器継承なしに即位し、譲位後、土御門(つちみかど)・順徳・仲恭(ちゅうきょう)3帝にわたって院政を執った。北条義時追討を謀って承久の乱を起こしたが失敗、隠岐(おき)に流された。蹴鞠・琵琶・笛などの芸能や和歌にもひいで新古今集を勅撰した。

 

 室町幕府(むろまちばくふ)

足利氏が京都に開いた幕府。1336年足利尊氏の建武式目制定をもって創始された武家政権。鎌倉幕府の制度・機構をほぼ継承して発足し、南北朝合体によって全国統一政権となった。しかし守護領国制の発展による地方分権化に対抗しえず、特に応仁の乱以降は、群雄割拠の戦国時代と化し1573年一五代義昭が織田信長に追放され滅亡。

 

 臨済宗(りんざいしゅう)

禅宗の一派。鎌倉初期に入宋した明庵栄西(みようあんえいさい)が黄竜派の禅を伝えたのに始まる。鎌倉・室町時代に大いに興隆し、室町幕府は五山の制をつくって保護した。

 

 臨済宗(りんざいしゅう)

禅宗の一派。鎌倉初期に入宋した明庵栄西(みようあんえいさい)が黄竜派の禅を伝えたのに始まる。鎌倉・室町時代に大いに興隆し、室町幕府は五山の制をつくって保護した。

 

 栄西(えいさい)

1141~1215年、鎌倉初期の禅僧。日本の臨済宗の開祖。上房・千光国師と号す。比叡山で天台の教義を学び二度入宋し、臨済禅を伝え帰る。幕府の帰依をうけ鎌倉に寿福寺を建立。京に建仁寺を創建して天台・真言・禅の三宗兼学の道場とし禅宗の拡大に努めた。

 

 後白河天皇(ごしらかわてんのう)

第77代の天皇、在位1155年7月24日~1158年8月11日。鳥羽天皇の第四皇子。即位の際、崇徳上皇と対立、保元の乱を生じた。二条天皇に譲位後、五代にわたって院政をおこない、平氏政権から鎌倉幕府権力の確立に至る変革期にあって朝廷権威の存続を巧みにはかった。1169年出家して法皇となり、造寺・造仏に尽くした。

 

 北条義時(ほうじょうよしとき)

1163~1224年、鎌倉幕府第2代執権。在職1205~1224。北条時政の次男。父時政の失脚ののち執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、北条氏の執権政治を固めた。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

TAG:笠岳から慈光寺 2012年2月26日
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