石鎚神社(白皇山) 


 寺社の種類:神社
 創建の時期:-
 主祭神:-
 社殿の様式:-
 所在地:高知県土佐清水市大谷
 訪問日:2011年10月20日

 

足摺スカイラインの途中から登るシイの森は佐田山と呼ばれるところであまり人は入っていないようですが遊歩道も整備されています。最初は少し歩くと見付かると思っていましたがシイの自然遊歩道をひと登りすることになってしまいました。

足摺スカイラインに石の鳥居
途中には大きな岩も
山頂直下に朽ちかけた社
山頂の岩の上に石祠

山頂直下には石鎚神社の朽ちかけた社が祀られています。さらにしばらく登ると山頂には大きな石、その上には石祠が祀られていました。

山頂からは足摺の海岸線
登山道には白皇寺の跡と言う石積み

途中には白皇寺跡という古い石積みも残っています。ここは金剛福寺の奥の院であった所ですが明治の廃仏毀釈の波により廃寺になったと言います。

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

 神仏習合(しんぶつしゅうごう)神仏混淆(しんぶつこんこう)

日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

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