英彦山神宮 


 寺社の種類:官幣中社・別表神社
 創建の時期:不明
 社殿の様式:-
 所在地:福岡県田川郡添田町
 訪問日:2011年5月30日

 

英彦山は羽黒山、熊野大峰山とともに日本三大修験山に数えられ修験道の山です。また高尾山鞍馬山迦葉山などとともに肥前坊と呼ばれる天狗が住む山と伝えられています。

石畳の参道
曼珠院跡
了乗坊
松養坊

明治の廃仏毀釈により天台山伏の本山であった霊仙寺は分離され英彦山神社になりました。

石畳と石段の参道を登って行くと両脇にはたくさんの僧房が建っています。今なおお客を迎い入れている所もあるようですが、苔むした石垣が残っている所も多いようです。

英彦山の石鳥居
報恩寺跡には宝篋印塔
江戸時代に建立したと言う宝篋印塔
智楽院

また杉林の中には苔むした石垣や古い宝篋印塔も残っています。この参道は今なお古い歴史が息づいている所です。

 
秀学坊跡
顕揚坊
招魂社には幕末の志士を祀る

たどり着いた奉幣殿とよばれる朱塗りの拝殿には大きな鈴が掲げられています。山岳信仰の山として栄えた英彦山の歴史を物語るように鳥居の脇には鐘楼も残っていました。

奉幣殿の拝殿
鐘楼は神仏習合の跡
英彦山の案内板
大きな鈴を掲げる拝殿
拝殿
社務所の脇に神水

英彦山は北岳、中岳、南岳の3つの頂を持つ山です。奉幣殿から続く参道には下社、中宮(中津宮)が祀られ、中岳の山頂には上宮が祀られています。

また参道の途中には産霊神社が祀られています。ここは行者堂とも呼ばれる社で修験道時代には役ノ行者の木像が安置されていたところです。

上社に向かう参道
下社の社
中社(中津宮)の社
中社(中津宮)の社
産霊神社(行者堂)
小さな社脇に水場
中岳に上社の社
英彦山神宮の扁額
上社
南岳に石祠

南岳から奉幣殿へと向かう山道の途中には玉屋神社があります。ここは法蓮上人が修行したと伝えられる岩屋で傍には不増不減の清水が湧き出しています。案板によると大和の金剛山、近江の竹生島とともに日本三大霊水の一つと言います。

石像もあります
玉屋神社
不増不減の清水
般若窟の扁額が掲げられて

 天之忍穂耳命(あめのおしほみみ)、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)

天照大御神の御子ながら下界へ降ることを拒み通し高天原にとどまった神です。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

 宝篋印塔(ほうきょういんとう)

宝篋印陀羅尼という呪文を収めた塔。のちに供養塔、墓碑塔として建てられた。方形の石を下から基壇、基礎、塔身、笠、相輪と積み上げ、笠の四隅に飾りの突起があるものをいう。

 

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

 神仏習合(しんぶつしゅうごう)神仏混淆(しんぶつこんこう)

日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

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