岩船山高勝寺 


 寺社の種類:天台宗の寺
 創建の時期:宝亀8年(775年)、弘誓坊明源和尚
 所在地:栃木県栃木市岩舟町静3
 訪問日:2010年9月26日

 

高勝寺は関東の高野山、日本三大地蔵尊などして知られる栃木の霊場です。岩船山の山上に伽藍や宝塔、石像を配置したた境内には水子供養のための「賽の河原」や、罪を犯した女性が堕ちるといわれる「血の池」などもあります。

高勝寺の山門
賽ノ河原には風車や人形が
高勝寺の本堂
高勝寺の本堂

舗装道路を登って行くと車は通行止めの案内板、仕方なく山門まで歩きましたが山門わきの駐車場が開いていました。

朱塗りの山門の前には賽ノ河原があります。小さい子供を亡くした人が供えたのか、お地蔵さんの前には人形や風車が所狭しと供えられています。

高勝寺の本堂
木立の中の奥ノ院

山門をくぐるり急な階段を登ると本堂です。お彼岸の供養なのか卒塔婆を抱えお参りに訪れる人も多いようです。

地蔵橋から先は通行止め
展望台の傍に三角点

ここから遊歩道のような道を登って行くと奥ノ院にたどり着きました。地蔵橋の先には奥ノ院があたようですが危険なためか通行が禁止されていました。

山頂周辺には小さな祠などもあります。目の前が切れ落ちた展望台に立つと岩船の町並みが箱庭のように見渡せました。

見上げる三重塔
血の池地獄
石塔と卒塔婆
高勝寺の鐘楼

見上げる三重塔は県の文化財にも指定されたものです。本堂の左奥には血の池地獄、たくさんの石塔の傍には卒塔婆が立てかけられていました。

 天台宗(てんだいしゅう)

法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智顗(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。

 

 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)

釈迦の入滅後から弥勒菩薩が世に現れるまでの間、無仏の世に住み六道の衆生を教え導くことを誓いとした菩薩。慈愛に満ちた円満柔和な僧形で、多くは右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。

 

 鑑真(がんじん)・過海大師・唐大和上(とうだいわじょう)

中国、唐代の高僧。日本律宗の開祖。揚州大明(たいめい)寺で戒律を講じ名声があった。742年日本僧栄叡(ようえい)らの請に応じて来日を志したが海賊や風波の災で5度挫折の後、754年渡来した。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 弥勒菩薩(みろくぼさつ)

釈迦の入滅から56億7000万年後の未来の世に仏となってこの世にくだり、衆生を救済するという菩薩

 

 錫杖(しゃくじょう)

僧侶や修験者が持ち歩く杖。頭部は塔婆形で数個の環がかけてあり、振ったり地面を強く突いたりして鳴らす。

 

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