熊本稲荷神社(白髭さん) 


 寺社の種類:神社・稲荷神社
 創建の時期:1588年(天正16年)ころ
 主祭神:倉稲魂神
 社殿の様式:‐
 所在地:熊本県熊本市中央区本丸3-13
 訪問日:2010年3月7日

 

熊本城の傍に真っ赤な鳥居の熊本稲荷神社があります。加藤清正が肥後に入国するとき、居城となる熊本城の守護神として勧請したものと言われる古い稲荷神社です。

赤い奉納幟がたなびく境内には熊本城の観光に訪れた人など、たくさんの参拝客で賑わっています。

茅の輪があります
熊本稲荷神社

熊手が飾られた茅の輪くぐり。1回は左まわり、2回は右まわり、3回は左回り。茅の輪くぐりにも作法があるようです。

関連記録・コース

 宇迦御魂命・宇迦之御魂神・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

古事記、日本書記に登場する神です。須佐之男命と神大市比売の子です。農耕の神、商工業の神、商売繁盛の神としても信仰されていて全国の稲荷神社で祀られています。

 

 加藤清正(かとうきよまさ)

1562~1611年、安土桃山時代の武将。幼少より豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳七本槍の一人。熊本城主。文禄慶長の役の先鋒。関ヶ原の戦いでは徳川方について肥後52万石領主となる。秀吉亡きあとの豊臣家の安泰もはかった。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

 豊臣秀吉(とよとみひでよし)

1536~1598年、安土桃山時代の武将。織田信長に仕え戦功をたて羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀・柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一した。

天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり豊臣を賜姓。検地・刀狩りなどを行い兵農分離を促進した。明国征服を志して朝鮮に出兵したが戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。

 

 賤ヶ岳七本槍(しずがたけしちほんやり)

賤ヶ岳の戦いで功名を上げた豊臣方の侍、脇坂安治、片桐且元、平野長泰、福島正則、加藤清正、糟屋武則、加藤嘉明

 

 文禄の役(ぶんろくのえき)

文禄元年(1592年)豊臣秀吉が明の征服を目的に朝鮮に出兵した侵略戦争。約16万の軍を釜山に上陸させ明の国境まで進出したが、明の援軍、朝鮮水軍の攻撃や民衆蜂起などによって劣勢となり停戦。

 

 慶長の役(けいちょうのえき)

慶長2年(1597年)、豊臣秀吉文禄の役で明と和議をしたのち、明使のもたらした表文をめぐって再びに朝鮮に出兵した戦役。翌年秀吉の死後に撤兵した。

 

 関ヶ原の戦

慶長5年(1600年)関ヶ原で石田三成らの西軍と徳川家康らの東軍とが天下を争った戦い。小早川秀秋の寝返りにより東軍が大勝した。石田三成らは処刑され豊臣秀頼は60万石の大名に転落した。これにより徳川氏の覇権が確立した。

 

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