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あの頂を越えて

神社参拝

~神社を訪ねて~

あの頂を越えて

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~神社参拝:神社を訪ねて~

 八溝嶺神社

 寺社の種類:神社、式内社・旧郷社
 創建の時期:-
 主祭神:大己貴命事代主命
 社殿の様式:神明造
 所在地:茨城県久慈郡大子町上野宮2129
 訪問日:2009年4月13日

 

八溝嶺神社が祀られた八溝山は茨城と福島の県境に位置し茨城県の最高嶺となる頂です。

古くからの信仰の山で山腹には坂東三十三観音霊場の一つ日輪寺、廃寺となった月輪寺が祀られています。

八溝嶺神社の本殿

八溝山の山頂までは舗装道路が続いています。八溝嶺神社は山頂直下の駐車スペースのすぐ傍にあります。

山頂には観光用にお城の格好をした展望台が建てられていました。数年前までは入場料を徴収していましたが訪れた時は無料になっていました。

八溝山山頂から見下ろす八溝嶺神社
八溝山の山頂

 大物主命(おおものぬしのみこと)

大和の三輪山に鎮座する神で大神神社の祭神。大国主(おおくにぬしの)神の異名とも言います。国津神の代表的存在で国譲り後たくさんの国津神をひきいて皇孫を守ったなどおおくの説話を持つ神です。蛇の姿をしており農業の守護神でもある。

 

 事代主神(ことしろぬし)

出雲神話の神。大国主命の子です。国譲りを要求する高天原からの使者に対し、大国主神にかわって国譲りの誓約をしました。神の託宣をのべる役割をもつとされます。

 

 明神造(みょうじんづくり)

伊勢の神宮を代表としてみられる様式で、切妻造の屋根の棟と平行の側に入口がある平入(ひらいり)という形になっています。

 

 坂東三十三観音霊場・坂東三十三ヶ所

源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 源頼朝(みなもとよりとも)

1147~1199年 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱のち伊豆蛭ヶ小島に配流される。1180年以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山の戦いに敗れ安房に逃げたが東国武士の来援を得て関東を制し鎌倉にはいって根拠地とした。平維盛の追討軍を富士川に破り弟の範頼・義経を西上させ、85年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。全国に守護・地頭を設置、武家政治の基礎を確立。

 

 源実朝(みなみとさねとも)

1192~1219年、鎌倉幕府三代将軍。源頼朝の二男。1203年将軍となるが実権は北条氏が握った。鶴岡八幡宮社頭で甥の公暁に暗殺され頼朝直系の子孫は断絶した。

 

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