武甲山御嶽神社 


 寺社の種類:神社
 創建の時期:-
 社殿の様式:-
 所在地:埼玉県秩父郡横瀬町大字横瀬
 訪問日:2007年10月30日

 

武甲山の山頂には武甲山御嶽神社の奥宮が祀られています。かっての蔵王権現神社であるこの神社は龍神の化身である武甲山の男神を祀る神社です。秩父の夜まつりは秩父神社に祀られた女神と武甲山の男神が年に1度の逢瀬を楽しむ祭りと言います。

この神社を訪ねたのは紅葉の始まった武甲山の山頂を訪れるハイキングの途中です。生川からセメント工場の建ち並ぶ土埃の道を進むと武甲山の登山口にたどり着きました。御岳神社の鳥居の脇には狛犬が睨みを利かせています。その顔はまさに狼、日本武尊の伝説に登場する狼の言い伝えがここにも残っているようです。

登山口の狛犬はまさに狼
登山口の狛犬はまさに狼

丁目石に導かれながらたどり着いた山頂には御嶽神社の奥宮が祀られています。山頂は目の前が石灰岩の採掘で削り取られ、高いフェンスが山頂一帯を取り囲んでいました。

山頂の神殿
山頂の石灯篭
関連記録・コース

 日本武尊・倭建命(やまとたけるのみこと)

日本の古代史における伝承上の英雄。景行天皇の皇子です。気性が激しいため天皇に敬遠され、九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えぞ)の討伐に遣わされたといわれています。風土記なども含めてさまざまな伝説が残っています。

 

 継体天皇(けいたいてんのう)・男大迹尊(おおどのみこと)

第26代天皇(在位:507年2月4日~531年2月7日)武烈天皇没後嗣子がなく、大伴金村・物部麁鹿火(あらかび)らに越前から迎えられて河内で即位したと伝えられる。 このころ朝鮮半島における日本の勢力は衰え、筑紫では磐井(いわい)の乱が起こった。また仏教も渡来人によって伝えられ普及し始めた。陵墓は大阪府茨木市太田3丁目の三嶋藍野陵。

 

 安閑天皇(あんかんてんのう)・広国押武金日尊(ひろくにおしたけかなひのみこと)

第27代天皇(在位:531年2月7日~535年12月17日)継体天皇の皇子。都は大和の勾金橋(まがりのかなはしの)宮。全国各地に屯倉をおき、県犬養連(あがたのいぬかいのむらじ)らにその税を司らせた。陵墓は大阪府羽曳野市古市5丁目の古市高屋丘陵。

 

 日本武尊・倭建命(やまとたけるのみこと)

日本の古代史における伝承上の英雄。景行天皇の皇子です。気性が激しいため天皇に敬遠され、九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えぞ)の討伐に遣わされたといわれています。風土記なども含めてさまざまな伝説が残っています。

 

 石灰岩(せっかいがん)

炭酸カルシウムを主成分とする堆積岩。普通白色や灰色。貝殻・サンゴ・有孔虫などの生物遺体が堆積した生物岩と、化学的沈殿により形成された化学岩とがある。セメント・石灰などの原料、石材として利用される。

 

 景行天皇(けいこうてんのう)、大足彦忍代別尊(おおたらしひこおしろわけのみこと)

第12代天皇(在位:71年7月11日~130年11月7日 )垂仁天皇の第三皇子。都は大和の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲くまそを征討し、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣して蝦夷を平定したという。陵墓は奈良県天理市渋谷町の山辺道上陵。

 

 継体天皇(けいたいてんのう)・男大迹尊(おおどのみこと)

第26代天皇(在位:507年2月4日~531年2月7日)武烈天皇没後嗣子がなく、大伴金村・物部麁鹿火(あらかび)らに越前から迎えられて河内で即位したと伝えられる。 このころ朝鮮半島における日本の勢力は衰え、筑紫では磐井(いわい)の乱が起こった。また仏教も渡来人によって伝えられ普及し始めた。陵墓は大阪府茨木市太田3丁目の三嶋藍野陵。

 

 景行天皇(けいこうてんのう)、大足彦忍代別尊(おおたらしひこおしろわけのみこと)

第12代天皇(在位:71年7月11日~130年11月7日 )垂仁天皇の第三皇子。都は大和の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲くまそを征討し、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣して蝦夷を平定したという。陵墓は奈良県天理市渋谷町の山辺道上陵。

 

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