志都岐山神社(しづきやまじんじゃ) 


 寺社の種類:県社
 創建の時期:明治11年(1878年)
 御祭神:毛利元就、隆元、輝元、敬親、元徳を5柱、初代から12代まで萩藩歴代藩主
 社殿の様式:-
 所在地:山口県萩市堀内2区城内1-1
 訪問日:2006年11月6日

 

天守閣や楼などが解体された萩城跡に明治11年(1878年)、山口にある豊栄、野田両神社の分社として創建した神社です。毛利元就をはじめ萩藩歴代藩主が祀られています。

参道の狛犬
参道の狛犬
参道にかかる橋
石段の参道
歴代の藩主を祀っています
古びた社殿と舞殿

 毛利元就(もうりもとなり)

1497~1571年、戦国時代の武将。大内義隆が家臣陶晴賢(すえはるかた)に倒されたのち、陶氏を討って周防・長門を支配下に収めた。出雲の尼子氏を倒して中国地方10か国を制覇。一族の結束を固めるための三本の矢の教訓が有名。

 

 毛利元就(もうりもとなり)

1497~1571年、戦国時代の武将。大内義隆が家臣陶晴賢(すえはるかた)に倒されたのち、陶氏を討って周防・長門を支配下に収めた。出雲の尼子氏を倒して中国地方10か国を制覇。一族の結束を固めるための三本の矢の教訓が有名。

 

 陶晴賢(すえはるかた)

1521~1555年、室町末期の武将。主君大内義隆にそむいて自刃に至らしめその領国を掌握。厳島の戦いで毛利元就に敗れて自害。

 

 陶晴賢(すえはるかた)

1521~1555年、室町末期の武将。主君大内義隆にそむいて自刃に至らしめその領国を掌握。厳島の戦いで毛利元就に敗れて自害。

 

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