湊川神社 


 寺社の種類:別格官幣社・別表神社
 創建の時期:明治5年(1872年)
 主祭神:楠木正成
 社殿の様式:-
 所在地:兵庫県神戸市中央区多聞通三丁目1番1号
 訪問日:2006年11月2日

 

神社近くの地下駐車場に車を停め湊川神社に参拝します。この神社も震災の被害にあったのかコンクリート造りの社殿にはあまり歴史の重みは感じられません。

ここは湊川の合戦に敗れた楠正成が自害した場所。神社の裏手には楠正成戦没の地と言われる廟がありました。

再建された湊川神社
新しい拝殿
神社の裏手には楠正成戦没の地
神社の裏手には楠正成戦没の地

境内には楠正成廟があります。ここに廟を建てたのは大日本史を編纂した徳川光圀で楠正成の廟と一緒に光圀の像も祀られていました。

湊川神社境内
境内の楠本稲荷大神
楠正成廟
楠正成廟
楠正成廟
楠正成廟を崇拝した徳川光圀の像

 楠木正成(くすのきまさしげ)

1294~1336年、南北朝時代の武将。河内国の土豪。1331年、後醍醐天皇に呼応して河内赤坂城に挙兵、建武政権樹立に貢献し、河内和泉の守護となった。1336年足利尊氏を兵庫湊川に迎え討つが敗れ、弟正季と刺しちがえて死んだ。

 

 楠木正成(くすのきまさしげ)

1294~1336年、南北朝時代の武将。河内国の土豪。1331年、後醍醐天皇に呼応して河内赤坂城に挙兵、建武政権樹立に貢献し、河内和泉の守護となった。1336年足利尊氏を兵庫湊川に迎え討つが敗れ、弟正季と刺しちがえて死んだ。

 

 徳川光圀(とくがわみつくに)

1628~1700年、江戸前期の水戸藩主。中納言の唐名黄門により世に水戸黄門とも言う。大義名分を重んじて儒学を奨励、彰考館を設けて俊才を招き大日本史を編纂した。

 

 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)/尊治(たかはる)

第96代天皇(在位:1318年3月29日~1339年8月15日)後宇多天皇の皇子。大覚寺統。親政を企てて正中の変、元弘の変に敗れ、隠岐に流された。1333年脱出し新田義貞、足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。

のち公武の不和から親政は失敗し尊氏らも離反、36年吉野に移り南朝を立てた。陵墓は奈良県吉野郡吉野町吉野山の塔尾陵。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)/尊治(たかはる)

第96代天皇(在位:1318年3月29日~1339年8月15日)後宇多天皇の皇子。大覚寺統。親政を企てて正中の変、元弘の変に敗れ、隠岐に流された。1333年脱出し新田義貞、足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。

のち公武の不和から親政は失敗し尊氏らも離反、36年吉野に移り南朝を立てた。陵墓は奈良県吉野郡吉野町吉野山の塔尾陵。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

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