仏頭山橘寺 


 寺社の種類:天台宗のお寺
 創建の時期:不明、開基:聖徳太子と伝えられる
 所在地:奈良県高市郡明日香村
 訪問日:2006年10月18日

 

橘寺は聖徳太子誕生の地に建立されたお寺です。垂仁天皇の勅命を受けた田道間守が不老長寿の薬として持ち帰った橘ゆかりのお寺と言います。

本堂は改修の工事中で白いシートに覆われています。中には聖徳太子の仏像が安置されていました。

境内には観光客
鐘楼の傍には五重塔が建っていたとか
本堂
本堂の裏手には二面石

本堂の裏手には二面石があります。案内板がなければ見落としそうな石ですが、左手が悪相、右手が善相。言われてみればそれと見える石です。

橘寺は聖徳太子誕生の寺
観音堂には本尊の如意輪観音

境内の宝物館では聖徳太子の絵巻物が紹介されていました。国立美術館に展示されている一部がここでも紹介されていると言うことで、聖徳太子18才前後の2枚が展示されていました。

 天台宗(てんだいしゅう)

法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智顗(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。

 

 聖徳太子(しょうとくたいし)・厩戸皇子(うまやどのみこ)・豊聡耳 (とよとみみ)

574~622年、古代推古朝の摂政、用明天皇の皇子。推古天皇の皇太子となり摂政として内政・外交・仏教の興隆に力を尽した。

冠位十二階、十七条憲法を制定。豪族勢力を押えて中央集権的官僚国家建設の準備を整えた。外交面では任那回復のための新羅征討、小野妹子を隋に派遣して国交を開いた。

仏教を深く信仰し法隆寺、四天王寺などを建立し、仏典の注釈三経義疏を著わしたと伝えられる。

 

 聖徳太子(しょうとくたいし)・厩戸皇子(うまやどのみこ)・豊聡耳 (とよとみみ)

574~622年、古代推古朝の摂政、用明天皇の皇子。推古天皇の皇太子となり摂政として内政・外交・仏教の興隆に力を尽した。

冠位十二階、十七条憲法を制定。豪族勢力を押えて中央集権的官僚国家建設の準備を整えた。外交面では任那回復のための新羅征討、小野妹子を隋に派遣して国交を開いた。

仏教を深く信仰し法隆寺、四天王寺などを建立し、仏典の注釈三経義疏を著わしたと伝えられる。

 

 如意輪観音(にょいりんかんのん)

六観音または七観音の一つで如意宝珠と法輪の力によって生きとし生けるものを救済するという。延寿、安産、除難の功徳があるとされている。普通は6臂の像で、座像は輪王座。右の第一手は必ず思惟(しゆい)手となるのが特徴。

 

 聖徳太子(しょうとくたいし)・厩戸皇子(うまやどのみこ)・豊聡耳 (とよとみみ)

574~622年、古代推古朝の摂政、用明天皇の皇子。推古天皇の皇太子となり摂政として内政・外交・仏教の興隆に力を尽した。

冠位十二階、十七条憲法を制定。豪族勢力を押えて中央集権的官僚国家建設の準備を整えた。外交面では任那回復のための新羅征討、小野妹子を隋に派遣して国交を開いた。

仏教を深く信仰し法隆寺、四天王寺などを建立し、仏典の注釈三経義疏を著わしたと伝えられる。

 

 崇神天皇(すいじんてんのう)・御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)・御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)

第10代の天皇(在位:前97年1月13日~前30年12月5日)開化天皇の皇子。記紀によれば四道(しどう)将軍を派遣して大和朝廷の領域を広げ国家の財政制度を確立したという。陵墓は奈良県天理市柳本町の山辺道勾岡上陵。実在が確かな最初の天皇とされされ以前の天皇を欠史八代と言う。

 

 鑑真(がんじん)・過海大師・唐大和上(とうだいわじょう)

中国、唐代の高僧。日本律宗の開祖。揚州大明(たいめい)寺で戒律を講じ名声があった。742年日本僧栄叡(ようえい)らの請に応じて来日を志したが海賊や風波の災で5度挫折の後、754年渡来した。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

 用明天皇(ようめいてんのう)・橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)

第31代天皇(在位:585年9月5日~587年4月9日)欽明天皇第四皇子。聖徳太子の父。天皇の仏教受容をめぐって物部守屋と蘇我馬子が対立した。陵墓は大阪府南河内郡太子町春日の河内磯長原陵。

 

 推古天皇(すいこてんのう)・額田部(ぬかたべ)・豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)

第33代天皇(在位:593年12月8日~628年3月7日)欽明天皇第3皇女。敏達天皇の皇后。女帝。崇峻天皇が蘇我馬子に殺されると推されて即位。わが国最初の女帝となる。聖徳太子を皇太子、摂政として政治を行い飛鳥文化を現出。陵墓は大阪府南河内郡太子町山田の磯長山田陵。

 

 用明天皇(ようめいてんのう)・橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)

第31代天皇(在位:585年9月5日~587年4月9日)欽明天皇第四皇子。聖徳太子の父。天皇の仏教受容をめぐって物部守屋と蘇我馬子が対立した。陵墓は大阪府南河内郡太子町春日の河内磯長原陵。

 

 推古天皇(すいこてんのう)・額田部(ぬかたべ)・豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)

第33代天皇(在位:593年12月8日~628年3月7日)欽明天皇第3皇女。敏達天皇の皇后。女帝。崇峻天皇が蘇我馬子に殺されると推されて即位。わが国最初の女帝となる。聖徳太子を皇太子、摂政として政治を行い飛鳥文化を現出。陵墓は大阪府南河内郡太子町山田の磯長山田陵。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

 用明天皇(ようめいてんのう)・橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)

第31代天皇(在位:585年9月5日~587年4月9日)欽明天皇第四皇子。聖徳太子の父。天皇の仏教受容をめぐって物部守屋と蘇我馬子が対立した。陵墓は大阪府南河内郡太子町春日の河内磯長原陵。

 

 推古天皇(すいこてんのう)・額田部(ぬかたべ)・豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)

第33代天皇(在位:593年12月8日~628年3月7日)欽明天皇第3皇女。敏達天皇の皇后。女帝。崇峻天皇が蘇我馬子に殺されると推されて即位。わが国最初の女帝となる。聖徳太子を皇太子、摂政として政治を行い飛鳥文化を現出。陵墓は大阪府南河内郡太子町山田の磯長山田陵。

 

 開化天皇(かいかてんのう)・稚日本根子彦大日日尊 (わかやまとねこひこおおひひのみこと)

第9代の天皇(在位:前158年11月12日~前98年4月9日)孝元天皇の第2皇子。皇居は大和春日率川宮(いさかわのみや)。 陵墓は奈良県奈良市油阪町の春日率川坂上陵。欠史八代の一人で実在性については諸説ある。

 

 訪問者数 今月:12件
 Back