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あの頂を越えて

山行記録

~山頂からの展望、出会った花などの記録~

あの頂を越えて

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~山行記録:山頂の展望、出会った花~

 流石山~会津中街道の峠道からニッコウキスゲの咲く稜線へ 


標高
流石山 1,812.5m(途中下山)
山域
那須・塩原
登山日
2008年7月6日(日)
歩行時間
登り2:30、下り 1:50、合計4:20
歩行距離
13.0km
標高差
755m
累積標高差
+910m、-910m
登山口
日暮滝入口mapon
交通機関
 東北道西那須野塩原ICから71km
登山コース
日暮滝入口~0:55→駐車場~0:55→大峠~0:40→山頂直下1,790m~0:10→大峠上の道端~0:45→林道(雨宿り)~0:55→日暮滝入口
コースmap
流石山 登山コース
流石山 登山コース

 

那須連峰の西側、裏那須と呼ばれる地域には流石山、大倉山、三倉山の頂が続いています。幕末のころ会津藩が整備した会津中街道の最大の難所と言われた大峠から続く稜線で、峠の先には今なおランプの宿として知られる三斗小屋温泉があります。またこの明るい稜線はニッコウキスゲの咲く稜線で7月の山開きを中心に、斜面は黄色い花で埋め尽くされると言います。

東北自動車道の西那須野塩原インターから塩原温泉の旅館街を通り抜け会津西街道へ。真っ白な梅雨空からは今にも雨が降ってきそうです。たどり着いた南会津町から会津高原鉄道の養鱒公園駅へ。ここからは大峠林道を緩やかに登っていきます。土砂崩れの復旧工事が行われているようで、たどり着いた日暮滝入口で林道は通行止めになっていました。

山行の記録

 日暮滝~大峠~流石山~日暮滝

日暮滝の入り口にはすでに数台の車が停まっています。ここからはアスファルトの林道をジグザグに登って行くことになります。先ほどまで曇っていた空からは青空も覗き始め、大峠の鞍部とそれから続く流石山の稜線がそびえていました。

雨量観測所を超え、砂利道となった林道をしばらく登って行くとガイドブックにも紹介されていた駐車場です。ここから更に砂利道を進むと林道の終点になります。丸太のベンチの傍らに松川街道と記された真新しい石柱が建っていました。

木立の中に日暮滝
大峠と流石山
20台は停まれそうな駐車場
林道の終点には松川街道の石柱
鏡ヶ池への道を分けます
山道らしくなってきた登山道

ここからは山道らしくなってきます。雑木林の中を緩やかに登って行く道は会津中街道として三斗小屋温泉への湯治客や会津藩の参勤交代にも使われた街道で、付近の石畳は当時のものと案内板に書かれていました。京都守護として幕末の歴史に名前を残す松平容保もこの道を登って行ったのかもしれません。

やがて視界が開けると大峠です。目の前には白く霞んだ空の下に噴煙を上げる茶臼岳。日ノ出平から続く稜線の先には市民ハイキングの登山口となった沼原の調整池が霞んでいました。

峠で一休みしたのち、明るく開けた稜線を流石山へと登っていきます。この稜線はニッコウキスゲの咲く稜線で、まだ3分咲きですが黄色い花が夏の訪れを教えてくれています。しばらく急な斜面を登って行きます。しかし空模様は今一つ、山頂からの展望も期待できそうにありません。また午後になると雷雲が通過するとという天気予報も気になるところです。今日は登頂をあきらめ、大人しく下山することにしました。

広く開けた大峠
大峠から眺める流石山
大峠へ下っていきます
大峠の石仏

大峠上の道端に腰を下ろし昼食をしたのち、車を停めた日暮滝へと下っていきます。林道終点から少し下ったところでポツポツと降り出した雨は、見る間にどしゃ降りになってきました。山頂方向からは盛んに落雷も聞こえてきます。あわてて雨具を取り出し道端で雨宿りです。

雷雲が通り過ぎたのか、しばらくすると青空も広がってきました。しかし林道には所々に流れ出した土砂の跡が残っています。かなり激しい雨が降ったことを物語っていました。

 会津中街道と大峠

天和2年(1682年)に発生した日光大地震と、貞亨元年(1684年)の暴風雨などにより会津西街道は通行不能になったと言います。このため会津藩は元禄8年(1695年)、会津から松川を通り氏家に至る会津中街道の道普請を行いました。その最大の難所は大峠を中心に松川から板室までの間で、険阻な峠道は往時も旅人も苦労して越えたと伝えられています。会津中街道の開通の翌年、京都守護として幕末の歴史に名前をとどめる松平容保が、参勤交代にこの峠道を利用したという記録も残っています。

しかし険阻な峠を越える街道は何れも同じ運命にたどるようで、会津西街道の復旧がは進むにつれ交通量は減少し、また自然の災害からの補修工事も進まないこともあり、徐々に主役の座を奪われたと言います。

またこの街道は白湯山信仰の道としても知られています。白湯山信仰は出羽三山信仰に由来するもので、那須岳山腹から湧出する白濁した温泉を白湯山、茶臼岳を月山、朝日岳を毘沙門岳とした三山信仰で、最盛期の江戸時代末期には白い行衣をまとった参詣の人で拠点となる三斗小屋宿は大いに賑わったと言います。

大峠には戊辰戦争時の塹壕の跡も残っています。会津に迫る官軍に対して会津藩では各所に防御陣地を構築したと言います。尾瀬の大江湿原にも往時の防塁の跡が残っていますがこの峠にも同じように防塁が築かれていたようです。実際の激戦は三斗小屋宿周辺で行われたようで、この戦乱で三斗小屋宿は灰燼に帰したと伝えられています。

山で出会った花たち

古びた石仏が残る峠は花の多い明るい稜線で、ベニバナノツクバネウツギやウラジロヨウラク、白い花をつけたカラマツソウ、オニアザミなどが風に揺れていました。

大峠から流石山への稜線も花の多い稜線です。ニッコウキスゲは3分咲きですが、ウサギギクやウスユキソウも咲いています。登山道で目にとまった白い花はツバメオモト、北国の山では彼方此方で目にする花ですが少し花柄が短めの気がしました。

 

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