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あの頂を越えて

城址探訪

~日本の城を訪ねて~

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~城址探訪:日本の城を訪ねて~

 七沢城

 城郭の構造:山城
 築城の時期:宝徳2年(1450年)
 廃城の時期:-
 主な城主:山内上杉氏
 所在地:神奈川県厚木市七沢1516
 訪問日:2018年11月26日

 

宝徳2年(1450年)鎌倉公方足利成氏と関東管領上杉憲忠の対立は激しさを増していました。扇谷上杉持朝が鎌倉公方足利成氏を攻撃しましたが江の島の戦いで敗れ、上杉軍は七沢の台地に急遽城郭を構築して立てこもりました。これが七沢城の始まりと言います。

七沢城の大手門跡

現在リハビリテーションセンターがあるところが七沢城とされていますがセンターの建設によって遺構はほとんど破壊されてしまったようです。県道沿いには大手門跡とされる案内板が建っていました。

関連記録・コース

 足利成氏(あしかがしげうじ)

1434~1497年、室町時代の武将。1449年、第5代鎌倉公方。1454年関東管領上杉憲忠を殺害して享徳の乱を引き起こした。1455年下総古河城に移って古河公方と称し堀越公方と関東の支配権をめぐって対抗した。

 

 鎌倉公方(かまくらくぼう)足利公方(あしかがくぼう)

&link#Muromatibakufu&室町幕府が関東8ヶ国と伊豆、甲斐の支配を支配のため置いた鎌倉府の首長で鎌倉殿、鎌倉御所、関東公方、関東御所とも呼ばれます。&link#Asikagatakauji&足利尊氏の二男基氏(もとうじ)が貞和5年(1349年) 鎌倉に移ったのに始まり、氏満(うじみつ)、満兼(みつかね)、持氏(もちうじ)、成氏(しげうじ)と世襲されました。康正1年 (1455年)年成氏が古河に移るまで続いきました。

 

 享徳の乱(きょうとくのらん)

享徳3年(1454年)から1482年まで続いた関東の大乱。鎌倉公方の足利成氏(あしかがしげうじ)が関東管領の山内上杉、扇谷上杉と対立し、上杉憲忠を謀殺し勃発。山内上杉家は房顕を後継者とし幕府は今川範忠を起用して成氏討伐に向かわせた。

康正元年(1455年)範忠は成氏を破って鎌倉に入った。成氏は古河に敗走し古河公方と称するようになる。以後、関東は利根川を挟んで古河公方と上杉氏とが対立し、30年に亘る争いが続く。

 

 古河公方(こがくぼう)

足利成氏(あしかがしげうじ)は享徳3年(1454年)関東管領上杉憲忠を謀殺したことで幕府から追討を受ける身となり下総古河に居を移し古河公方となりました。天正11年(1583年)義氏が没して男子がなくなるまでの5代で続きました。

 

 堀越公方(ほりごえくぼう)

古河公方に対抗するため上杉氏は幕府に新たな鎌倉公方の下向を求めました。幕府は将軍義政の弟足利政知(あしかがまさとも)を東下させましたが、鎌倉に入ることができず伊豆の堀越に御所を構えました。

延徳3年(1491年)あとを継いだ子の茶々丸が北条早雲に攻められ滅亡。

 

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