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あの頂を越えて

城址探訪

~日本の城を訪ねて~

あの頂を越えて

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~城址探訪:日本の城を訪ねて~

 八王子城

 城郭の構造:山城
 築城の時期:天正15年(1587年)ころ、北条氏照
 廃城の時期:天正18年(1590年)
 主な城主:北条氏照
 所在地:東京都八王子市元八王子町3丁目
 訪問日:2018年11月10日

 

八王子城は小田原城の支城で関東の西に位置する軍事上の拠点です。城主の北条氏照は滝山城を居城としていたが、永禄12年(1569年)小田原攻撃に向かう武田信玄に攻められ三の丸まで攻められ落城寸前まで追い込まれました。滝山城での防衛の限界を感じた氏照は、織田信長の安土城を参考に石垣で固めた八王子城を築き本拠を八王子城に移転しました。

八王子城跡の入り口
八王子城の案内板
八王子城の縄張り
ガイドコースの案内板

天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐では、氏照以下の家臣は小田原本城に駆けつけており、八王子城にはわずかの将兵が残るのみで領内から動員した領民を加えた約3000人が立て籠ったに過ぎなかったようです。

古道・曳橋・御主殿の案内板
古道・御主殿の案内版
小さな沢に橋があります
城山川に架かる橋
大手門跡の案内板
古道の案内板

攻撃軍勢に加わったのは上杉景勝をはじめ、前田利家、真田昌幸らの1万5千の精鋭部隊であったこともあり八王子城は1日で落城しました。

氏照正室を初めとする城内の婦女子は自刃、あるいは御主殿の滝に身を投げたとされています。

曳橋跡にかけられた立派な橋
曳橋の案内板
野面積みの石垣
野面積みの石垣

城山川に沿った暗い杉林は御主殿へと続く古道、途中には大手門跡があります。曳橋は敵の攻撃を防ぐため簡単に落とすことができるようになっていた橋です。現在の橋は御主殿への通路として架けられたものとの説明版がありました。

虎口の石段
御主殿虎口の案内板
櫓門跡の案内板
御主殿入り口の櫓門

曳橋は敵の攻撃を防ぐため簡単に落とすことができるようになっていた橋です。現在の橋は御主殿への通路として架けられたものとの説明版がありました。

御主殿は氏照の館があったところです。石垣に囲まれた御主殿跡には礎石などの遺構が残り、池を中心とする庭園、水路なども見つかっています。

御主殿跡の案内板
庭園遺構の案内板
庭園跡
 
御主殿跡
本丸へ続く山道

御主殿からは金子曲輪をたどり本丸へつ続く山道があるようですがボランティアの同行が必要とか、時間があるときにでも訪れてみたいものと思います。

関連記録・コース

 北条氏照(ほうじょううじてる)

戦国時代の武将。滝山城主、のち八王子城主。北条氏康の二男。兄氏政の領国支配を助け北関東進出に活躍した。1590年秀吉の小田原征伐に際し小田原城で氏政とともに自害。

 

 北条氏康(ほうじょううじやす)

1515~1571年、戦国時代の武将。&link#Gohoujyou&後北条氏第3代。&link#Houjyouujituna&北条氏綱の子。1551年、&link#Ougigatuyauesugi&扇谷上杉氏・&link#Yamanoutiuesugi&山内上杉氏を河越に破り、1561年の小田原城の戦いでは上杉謙信を敗走させた。伊豆・相模・武蔵・上野を領有し&link#Gohoujyou&後北条氏の全盛期を築いた。

 

 小田原征伐(おだわらせいばつ)・小田原攻め(おだわらぜめ)北条征伐(ほうじょうせいばつ)

1590年豊臣秀吉が天下統一のため小田原の北条氏(後北条氏)を滅ぼした戦い。秀吉は兵農分離による組織化された軍事力と強力な物量作戦を展開し、関東の北条氏の支城を次々と落とし本城小田原城を3ヵ月余にわたり攻囲・降伏させた。

 

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