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あの頂を越えて

寺院参拝

~お寺を訪ねて~

あの頂を越えて

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~寺院参拝:お寺を訪ねて~

 福源山明月院(ふくげんざん めいげついん)、あじさい寺

 寺社の種類:臨済宗建長寺派のお寺
 創建の時期: 応永元年(1394年)以前、開基:上杉憲方、開山:密室守厳(みっしつしゅごん)
 所在地:神奈川県鎌倉市山ノ内189
 訪問日:2018年2月15日

 

明月院は北条時宗が建立した禅興寺の塔頭です。禅興寺は明治初年に廃絶し明月院のみが今に残っています。

明月院の入り口
明月院の案内図
明月院の案内板
北条時頼公廟所
廟所の中に位牌が安置され
位牌と肖像画

アジサイの名所として花の時期にはたくさんの観光客が行列を作るところとしても知られています。

北条時頼公の宝篋印塔
福源山の扁額がかかる山門
方丈
方丈の前に枯山水庭園
庭園に六地蔵
お地蔵さん
開山堂
明月院のやぐら

境内には北条時頼公の廟や宝篋印塔、鎌倉十井の1つに数えられる瓶の井(つるべのい)があります。

釈迦如来と多宝如来
たくさんの石塔
やぐらの中に石塔
瓶の井(釣瓶の井)
庭園の中に東屋
竹林
最明寺旧跡道の石柱

明月院やぐら呼ばれる岩窟には北条憲方の墓とされる宝篋印塔や浮彫の釈迦如来と多宝如来がありました。

 臨済宗建長寺派(りんざいしゅうけんちょうじは)

日本仏教の一宗派。臨済宗一四派の一つです。本山は京都の妙心寺、派祖は関山慧玄。

 

 鎌倉三十三観音霊場(かまくらさんじゅうさんかんのんれいじょう)鎌倉観音霊場(かまくらかんのんれいじょう)

大正から昭和初期にかけて設定された観音霊場で、江戸時代に成立した鎌倉郡三十三箇所をベースにされている。鎌倉郡三十三箇所と異なり、廃仏毀釈により廃絶・移転してしまった寺も存在した事から23箇所の霊場が新たに加えられている。

1番 大蔵山杉本寺、2番 金龍山宝戒寺、3番 祇園山安養院、4番 海光山長谷寺、5番 満光山来迎寺、6番 錦屏山瑞泉寺、7番 岩蔵山光触寺、8番 飯盛山明王院、9番 稲荷山浄妙寺、10番 功臣山報国寺、11番 帰命山延命寺、12番 中座山教恩寺、13番 稲荷山別願寺、14番 随我山来迎寺、15番 円龍山向福寺、16番 内裏山九品寺、17番 南向山補陀洛寺、18番 天照山光明寺、19番 天照山蓮乗院、20番 天照山千手院、21番 普明山成就院、22番 霊鷲山極楽寺、23番 大異山高徳院、24番 亀谷山寿福寺、25番 泉谷山浄光明寺、26番 扇谷山海蔵寺、27番 若昇山妙高院、28番 巨福山建長寺、29番 蓮菜山  龍峰院、30番 福源山明月院、31番 金宝山浄智寺、32番 松岡山東慶寺、33番 円覚寺仏日庵

 

 北条時宗(ほうじょうときむね)

1251~1284年、鎌倉幕府八代執権。時頼の子。文永・弘安の両度の元寇に際し強硬に幕政を指導してこれを退けた。また禅宗に帰依して宋から無学祖元を招き円覚寺の開山とした。

 

 元寇(げんこう)

鎌倉時代、中国を支配していたモンゴル軍による日本侵攻。文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)の2回があり、いずれも北部九州が戦場となった。弘安の役では約4400隻の元寇船が襲来し鷹島沖に集結したが停泊中に暴風雨に遭遇して多くが沈没したとされる。元軍を撃退したこの暴風雨は神風と呼ばれた。

鎌倉幕府は第8代執権&link#Houjyoutokimune&北条時宗。文永の役後、博多湾沿岸の防備体制の強化、鎮西奉行の設置などを行なったため九州御家人には多大の軍事的、経済的負担を負わせ武士社会に深刻な状況を招いた。

 

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