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あの頂を越えて

神社参拝

~神社を訪ねて~

あの頂を越えて

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~神社参拝:神社を訪ねて~

 三嶋大社

 寺社の種類:式内社(名神大)、伊豆国一宮、伊豆国総社、旧官幣大社、別表神社
 創建の時期:-
 社殿の様式:三間社流造
 所在地:静岡県三島市大宮町2丁目
 訪問日:2015年11月3日

 

東海道と下田街道が交差する三島の地に祀られた神社で延喜式の名神大に列格された古い神社です。源頼朝の旗揚げ以来武将の崇敬が厚く鎌倉幕府の歴代将軍は代々三嶋大社を参詣しています。

石柱と大鳥居
境内の石碑
春には桜の咲く参道
たたり石

三嶋大社を訪れたのは七五三を目の前にした休日、週末に行われる三島祭のためか市内では交通規制が行われていました。

北条政子が勧請した厳島神社
参道の先に総門
御手水場
絵馬堂

参道にはたたり石や厳島神社などがあります。たたり石は東海道の中央にあった大きな石で往来の整理をするために設けられていたものです。たたり(絡?)は糸のもつれを防ぐ道具で現在は交通安全の霊石として境内におかれていると言います。

神門
天然記念物の金木犀
舞殿の先に拝殿
拝殿
拝殿の軒に彫刻
拝殿の奥に本殿

総門をくぐると右手に三嶋神社の金木犀があります。樹齢1200年を越える古木で国の天然記念物に指定されている古木です。

境内の摂社
境内の摂社
境内の摂社
神社の案内板

 事代主神(ことしろぬし)

出雲神話の神。大国主命の子です。国譲りを要求する高天原からの使者に対し、大国主神にかわって国譲りの誓約をしました。神の託宣をのべる役割をもつとされます。

 

 流造(ながれづくり)

神社建築様式の一つ。屋根の前のほうが長く伸びて向拝をおおい、庇と母屋が同じ流れで葺いてあるのでこの名がある。

正面の柱が2本であれば一間社流造、柱が4本であれば三間社流造という。奈良時代末~平安時代に成立し広く各地に流布しました。

 

 源頼朝(みなもとよりとも)

1147~1199年 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱のち伊豆蛭ヶ小島に配流される。1180年以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山の戦いに敗れ安房に逃げたが東国武士の来援を得て関東を制し鎌倉にはいって根拠地とした。平維盛の追討軍を富士川に破り弟の範頼・義経を西上させ、85年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。全国に守護・地頭を設置、武家政治の基礎を確立。

 

 鎌倉幕府(かまくらばくふ)

源頼朝が鎌倉に開いた日本最初の武家政権。守護・地頭が設置された1185年から1333年までの約150年間存続。源氏の将軍は頼朝・頼家・実朝の三代で滅び、以後は摂家将軍・親王将軍が立ったが、実権は代々執権職を継いだ北条氏が握った。中央に侍所・政所まんどころ・問注所の諸機関を設け、全国各地に守護・地頭を置き封建制国家を確立した。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。&link#Susanou&素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、&link#Amaterasu&天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 平治の乱(へいじのらん)

&link#Hogennoran&保元の乱(ほげんのらん)の後、平治1年(1159年)12月、京都に勃発した内乱。&link#Gosirakawatennou&後白河上皇の近臣間の暗闘が源平武士団の対立に結びつき、藤原信頼・&link#MinamotoYositomo&源義朝による上皇幽閉、藤原通憲(信西)殺害という事件に発展した。しかし&link#TairanoKiyomori&平清盛の計略によって上皇は脱出し、激しい合戦のすえ源氏方は敗北した。これ以後、平氏の政権が成立した。

 

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