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あの頂を越えて

神社参拝

~神社を訪ねて~

あの頂を越えて

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~神社参拝:神社を訪ねて~

 富士山本宮浅間大社

 寺社の種類:式内社(名神大)、駿河国一宮、旧官幣大社、別表神社
 創建の時期:垂仁天皇3年(BC27年)と伝えられる
 社殿の様式:浅間造
 所在地:静岡県富士宮市宮町
 訪問日:2015年11月3日

 

全国に点在する1,300社余りの浅間神社の総本社です。延喜式神名帳の名神大社、駿河国浅間神社とされる古い神社です。

古くから噴火を繰り返してきた富士山は火山神、浅間信仰の山として信仰されてきました。噴火を神の怒りと考え富士山本宮浅間神社をはじめ北口本宮富士浅間神社小室浅間神社など富士山を取り囲むように多くの浅間神社が祀られています。

朱塗りの大鳥居
湧玉池から流れる神田川
参道にはたくさんの屋台
大きな石柱と鳥居
参道にはたくさんの屋台
参道の総門

富士山の8合目以上は浅間大社の境内と言います。富士山の山頂に奥社が祀られ、山麓に富士山を遥拝する山宮、湧玉池の傍に里宮である浅間大社が祀られています。かつては浅間大社と山宮浅間神社を往復する山宮御神幸が行われていたと言います。

境内に石像
鉾立石
拝殿にたくさんの人の列
拝殿の神額
境内の案内板
朱塗りの拝殿

浅間大社を訪れたのは11月3日、折からの例大祭が行われ市内には数基の山車がひきまわされていました。大鳥居をくぐった参道には出店が店を並べ、たくさんの人で込み合っています。

南極の石
富士山の火山弾
2階建ての本殿
湧玉池の水屋神社
富士山の湧水が湧き出す湧玉池
湧玉池

朱塗りの総門をくぐると正面に社殿です。朱塗りの社殿は慶長9年(1604)徳川家康が造営したものと言います。拝殿の奥には浅間造と呼ばれる2階建ての本殿がありました。

湧玉池
駿河赤心隊の碑
駅前で出発を待つ山車
参道に山車
参道に山車
市内を引き回す山車

境内の右手には湧玉池があります。富士山の伏流水が湧き出したもので、かつての富士山信仰ではここで禊ぎをしてから山頂を目指したと言います。

関連記録・コース

 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)神阿多都比売命(かむあたつひめのみこと)、葦津姫命(かやつひめのみこと)

日本神話に登場する神様。古事記では瓊々杵命(ににぎのみこと)の妻となります。富士山の神とされ各地の浅間神社で祀られています。子育ての神、子安神としても篤く信仰されています。

 

 浅間造(せんげんづくり)

神社建築様式の一つ。社殿の上にさらに別の社殿が載った二階建ての建築様式で、神社建築としては特殊な形式である。富士山本宮浅間大社、静岡浅間神社、多摩川浅間神社、浅間神社 (横浜市西区)の4社のみとされている。

 

 徳川家康(とくがわいえやす)東照大権現(とうしょうだいごんげん)

1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。

 

 邇邇芸命・瓊瓊杵尊・瓊々杵尊・彦火瓊瓊杵・火瓊瓊杵(にぎにぎのみこと)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)

日本神話に登場する神様。&link#Amaterasu&天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。

 

 織田信長(おだのぶなが)

1534~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。織田信秀の子。桶狭間に今川義元を討って尾張一国を統一。京都に上って比叡山を焼き、浅井氏・朝倉氏を破り、将軍足利義昭(あしかがよしあき)を追放、&link#Takedakatuyori&武田勝頼を三河の長篠に破った。中国出陣の途中、京都本能寺で&link#AketiMituhide&明智光秀の謀反にあった。

 

 豊臣秀吉(とよとみひでよし)

1536~1598年、安土桃山時代の武将。織田信長に仕え戦功をたて羽柴秀吉と名のった。信長の死後、&link#AketiMituhide&明智光秀・&link#SibataKatuie&柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一した。

天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり豊臣を賜姓。検地・刀狩りなどを行い兵農分離を促進した。明国征服を志して朝鮮に出兵したが戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。

 

 石田三成(いしだみつなり)

1560~1600年、安土桃山時代の武将。豊臣秀吉に重用され、五奉行の一人として太閤検地などに活躍。秀吉の死後、遺子&link#ToyotomiHideyori&秀頼を擁ようして徳川家康と対立、関ヶ原の戦いに敗れ京で斬首された。

 

 関ヶ原の戦

慶長5年(1600年)関ヶ原で石田三成らの西軍と徳川家康らの東軍とが天下を争った戦い。小早川秀秋の寝返りにより東軍が大勝した。石田三成らは処刑され&link#ToyotomiHideyori&豊臣秀頼は60万石の大名に転落した。これにより徳川氏の覇権が確立した。

 

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