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あの頂を越えて

神社参拝

~神社を訪ねて~

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~神社参拝:神社を訪ねて~

 金刀比羅神社

 寺社の種類:神社
 創建の時期:-
 主祭神:大国主命崇徳天皇
 社殿の様式:-
 所在地:東京都青梅市本町220
 訪問日:2015年3月21日

 

永山公園を見下ろす台地の上に金刀比羅神社があります。青梅の織物が無事に外国に届くように海上運搬の安全を願って虎ノ門にある金刀比羅宮から勧進したと言います。

金比羅神社の鳥居
急な石段
境内に御手水場
金比羅神社の社殿
境内に芭蕉句碑
社殿の裏に石祠

社殿の裏には石祠とともに亀の上に乗った北斗妙見塚があります。擦れた文字は妙見●星頂輪王と刻まれていました。また境内には十二方角碑があります。現地の案内板によると江戸中期の石碑で石面には方位を表す十二支と国名や山名が刻まれていると言います。

亀の上に妙見●星頂輪王
金刀比羅宮社殿の案内板
十二方角碑の案内板
十二方角碑
関連記録・コース

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 崇徳天皇(すとくてんのう)

第75代の天皇、在位1123年1月28日~1141年12月7日。鳥羽天皇の第1皇子。鳥羽法皇の死後、後白河天皇と争い保元の乱に敗れて讃岐(さぬき)に流されました。死後は怨霊として恐れられた。墓所は香川県坂出の白峯陵(しらみねのみささぎ)。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。&link#Izanagi&伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、&link#Izanami&伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。&link#Izanagi&伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の&link#Niginigi&瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

 鳥羽天皇(とばてんのう)

第74代の天皇、在位1107年7月19日~1123年1月28日。堀河天皇第一皇子。崇徳・近衛・後白河の三代にわたって1129年から27年間、院政を行う。崇徳上皇と対立して後白河天皇を擁立、保元の乱の因となった。

 

 鳥羽天皇(とばてんのう)

第74代の天皇、在位1107年7月19日~1123年1月28日。堀河天皇第一皇子。崇徳・近衛・後白河の三代にわたって1129年から27年間、院政を行う。崇徳上皇と対立して後白河天皇を擁立、保元の乱の因となった。

 

 後白河天皇(ごしらかわてんのう)

第77代の天皇、在位1155年7月24日~1158年8月11日。鳥羽天皇の第四皇子。即位の際、崇徳上皇と対立、保元の乱を生じた。二条天皇に譲位後、五代にわたって院政をおこない、平氏政権から鎌倉幕府権力の確立に至る変革期にあって朝廷権威の存続を巧みにはかった。1169年出家して法皇となり、造寺・造仏に尽くした。

 

 保元の乱(ほげんのらん)

保元元年(1156年)京都に勃発した内乱。皇位継承に関する崇徳上皇と後白河天皇との対立に、摂関家の藤原頼長と忠通との家督争いが結びつき、上皇・頼長側は源為義・平忠正、後白河・忠通側は&link#MinamotoYositomo&源義朝・&link#TairanoKiyomori&平清盛らの武士団を招じ入れて戦い上皇方が敗北した。上皇は讃岐に流され、頼長は戦傷死した。この乱はのちの武家政権成立への端緒をなした。

 

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