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あの頂を越えて

寺院参拝

~お寺を訪ねて~

あの頂を越えて

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~寺院参拝:お寺を訪ねて~

 鎌倉大仏・大異山高徳院〜長谷大仏とも呼ばれる国宝の大仏〜

 寺社の種類:寺院・浄土宗
 創建の時期:不明
 本尊:阿弥陀如来
 所在地:神奈川県鎌倉市長谷4丁目
 訪問日:2013年12月13日

 

鎌倉大仏は鎌倉を代表する観光地の一つです。高徳院の本尊で吾妻鏡によると鎌倉幕府第3代執権、北条泰時の時代に造られた、寛元元年(1243年)に開眼されたと伝えられています。

建立当時は木造であったため1247年(宝治元年)暴風雨で倒壊、1252年(建長4年)金銅製の大仏造営が始められたとされていますが開眼の時期については不明のようです。

鎌倉大仏の山門
鎌倉大仏

当初は大仏殿が造られていましたが幾度かの台風で倒壊、1495年(明応4年)の津波で流出した後は露座に祀られています。明応地震は南海トラフ沿いの大地震と推定され高さ10mほどの津波が鎌倉にも押し寄せたことが推定されています。

鎌倉大仏
鎌倉大仏
鎌倉大仏
鎌倉観音霊場23番札所の観月堂

この地震では鶴岡八幡宮参道にも津波が到達したとされています。江ノ電沿線や七里ヶ浜には付近の標高や地震の時の避難の呼び掛けの看板が建っていました。

関連記録・コース

 浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、観無量寿経を重視して専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。

 

 阿弥陀如来(あみだにょらい)

大乗仏教の仏。西方の極楽浄土の教主で生あるものすべてをすくう仏様。念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰が鎌倉時代にさかんになり、浄土宗浄土真宗時宗などの浄土教宗派が成立した。

阿弥陀如来像は質素な形で如来の通相と呼ばれる姿をしています。小指を除く三指と親指で輪にした九品来迎印(くぼんらいごういん)を結んでいるのが特徴です。

 

 北条泰時(ほうじょうやすとき)

1183~1242年、鎌倉幕府第3代執権。1221年承久の乱には幕府軍の大将として上京、引き続き六波羅探題として戦後の処理に当たった。1224年執権。連署・評定衆を置いて合議制を制度化し、1232年御成敗式目を制定して武家政権を確立した。

 

 明応地震(めいおうじしん)

室町時代後期の明応7年(1498年)に起こった大地震。文献や発掘調査などから、東海・東南海・南海の三連動地震によるものと考えられている。高さ4メートルから10メートル程度の津波が房総半島から紀伊半島にかけての沿岸を襲った。

 

 法然(ほうねん)・円光大師・黒谷上人

鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。1147年比叡山で源光の門に入り天台を学んだ。1150年教学などに対する疑問を生じ西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し、法然房源空と称した。

 

 浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、観無量寿経を重視して専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。

 

 浄土真宗(じょうどしんしゅう)

法然上人の弟子の親鸞上人を開祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の経典とするが、特に無量寿経により阿弥陀仏の本願の信心を重視し、称名念仏は仏恩報謝の行であるとするのを宗旨とする。門徒宗、一向宗とも呼ばれます。

 

 時宗(じしゅう)遊行宗(ゆぎょうしゅう)

日本仏教の一宗派。念仏系の宗派で1276年一遍(いっぺん)が開いた。阿弥陀経を根本経典とし経中の臨命終時の言葉を宗の名とした。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 六波羅探題(ろくはらたんだい)

承久の乱後、京都の政情を監察しかつ治安を維持するために設置した、政務・軍事を統轄する執政官。南北二名を定員とし西国諸国の訴訟を聴断するとともに、有事の際は在京人をはじめとする京都近国の御家人を指揮する権限が与えられていた。

 

 浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、観無量寿経を重視して専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。

 

 法然(ほうねん)・円光大師・黒谷上人

鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。1147年比叡山で源光の門に入り天台を学んだ。1150年教学などに対する疑問を生じ西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し、法然房源空と称した。

 

 法然(ほうねん)・円光大師・黒谷上人

鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。1147年比叡山で源光の門に入り天台を学んだ。1150年教学などに対する疑問を生じ西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し、法然房源空と称した。

 

 親鸞(しんらん)・見真大師

鎌倉時代の僧。浄土真宗の開山。曇鸞の他力回向によって発得して以来、親鸞と名のり愚禿(ぐとく)と称した。1207年念仏停止の法難に遭い越後に流罪。赦免ののち長く関東に住み布教と著述を行う。

 

 一遍(いっぺん)・遊行上人(ゆぎょうしょうにん)・円照大師(えんしょうだいし)

鎌倉中期の僧。1239~1289年。時宗(じしゅう)の開祖。延暦寺に入り太宰府で法然の孫弟子聖達に浄土教を学ぶ。他力念仏を唱え衆生済度のため、民衆に踊り念仏を勧め全国を遊行した。

 

 後鳥羽天皇(ごとばてんのう)

第82代天皇(在位:1183年8月20日~1198年1月11日、高倉天皇の第4皇子。祖父後白河法皇の院政下、神器継承なしに即位し、譲位後、土御門(つちみかど)・順徳・仲恭(ちゅうきょう)3帝にわたって院政を執った。北条義時追討を謀って承久の乱を起こしたが失敗、隠岐(おき)に流された。蹴鞠・琵琶・笛などの芸能や和歌にもひいで新古今集を勅撰した。

 

 北条義時(ほうじょうよしとき)

1163~1224年、鎌倉幕府第2代執権。在職1205~1224。北条時政の次男。父時政の失脚ののち執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、北条氏の執権政治を固めた。

 

 六波羅探題(ろくはらたんだい)

承久の乱後、京都の政情を監察しかつ治安を維持するために設置した、政務・軍事を統轄する執政官。南北二名を定員とし西国諸国の訴訟を聴断するとともに、有事の際は在京人をはじめとする京都近国の御家人を指揮する権限が与えられていた。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 法然(ほうねん)・円光大師・黒谷上人

鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。1147年比叡山で源光の門に入り天台を学んだ。1150年教学などに対する疑問を生じ西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し、法然房源空と称した。

 

 浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、観無量寿経を重視して専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。

 

 浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、観無量寿経を重視して専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。

 

 浄土真宗(じょうどしんしゅう)

法然上人の弟子の親鸞上人を開祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の経典とするが、特に無量寿経により阿弥陀仏の本願の信心を重視し、称名念仏は仏恩報謝の行であるとするのを宗旨とする。門徒宗、一向宗とも呼ばれます。

 

 時宗(じしゅう)遊行宗(ゆぎょうしゅう)

日本仏教の一宗派。念仏系の宗派で1276年一遍(いっぺん)が開いた。阿弥陀経を根本経典とし経中の臨命終時の言葉を宗の名とした。

 

 法然(ほうねん)・円光大師・黒谷上人

鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。1147年比叡山で源光の門に入り天台を学んだ。1150年教学などに対する疑問を生じ西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し、法然房源空と称した。

 

 後白河天皇(ごしらかわてんのう)

第77代の天皇、在位1155年7月24日~1158年8月11日。鳥羽天皇の第四皇子。即位の際、崇徳上皇と対立、保元の乱を生じた。二条天皇に譲位後、五代にわたって院政をおこない、平氏政権から鎌倉幕府権力の確立に至る変革期にあって朝廷権威の存続を巧みにはかった。1169年出家して法皇となり、造寺・造仏に尽くした。

 

 北条義時(ほうじょうよしとき)

1163~1224年、鎌倉幕府第2代執権。在職1205~1224。北条時政の次男。父時政の失脚ののち執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、北条氏の執権政治を固めた。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 後鳥羽天皇(ごとばてんのう)

第82代天皇(在位:1183年8月20日~1198年1月11日、高倉天皇の第4皇子。祖父後白河法皇の院政下、神器継承なしに即位し、譲位後、土御門(つちみかど)・順徳・仲恭(ちゅうきょう)3帝にわたって院政を執った。北条義時追討を謀って承久の乱を起こしたが失敗、隠岐(おき)に流された。蹴鞠・琵琶・笛などの芸能や和歌にもひいで新古今集を勅撰した。

 

 北条義時(ほうじょうよしとき)

1163~1224年、鎌倉幕府第2代執権。在職1205~1224。北条時政の次男。父時政の失脚ののち執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、北条氏の執権政治を固めた。

 

 六波羅探題(ろくはらたんだい)

承久の乱後、京都の政情を監察しかつ治安を維持するために設置した、政務・軍事を統轄する執政官。南北二名を定員とし西国諸国の訴訟を聴断するとともに、有事の際は在京人をはじめとする京都近国の御家人を指揮する権限が与えられていた。

 

 浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、観無量寿経を重視して専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。

 

 法然(ほうねん)・円光大師・黒谷上人

鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。1147年比叡山で源光の門に入り天台を学んだ。1150年教学などに対する疑問を生じ西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し、法然房源空と称した。

 

 法然(ほうねん)・円光大師・黒谷上人

鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。1147年比叡山で源光の門に入り天台を学んだ。1150年教学などに対する疑問を生じ西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し、法然房源空と称した。

 

 法然(ほうねん)・円光大師・黒谷上人

鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。1147年比叡山で源光の門に入り天台を学んだ。1150年教学などに対する疑問を生じ西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し、法然房源空と称した。

 

 親鸞(しんらん)・見真大師

鎌倉時代の僧。浄土真宗の開山。曇鸞の他力回向によって発得して以来、親鸞と名のり愚禿(ぐとく)と称した。1207年念仏停止の法難に遭い越後に流罪。赦免ののち長く関東に住み布教と著述を行う。

 

 一遍(いっぺん)・遊行上人(ゆぎょうしょうにん)・円照大師(えんしょうだいし)

鎌倉中期の僧。1239~1289年。時宗(じしゅう)の開祖。延暦寺に入り太宰府で法然の孫弟子聖達に浄土教を学ぶ。他力念仏を唱え衆生済度のため、民衆に踊り念仏を勧め全国を遊行した。

 

 浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、観無量寿経を重視して専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。

 

 鳥羽天皇(とばてんのう)

第74代の天皇、在位1107年7月19日~1123年1月28日。堀河天皇第一皇子。崇徳・近衛・後白河の三代にわたって1129年から27年間、院政を行う。崇徳上皇と対立して後白河天皇を擁立、保元の乱の因となった。

 

 崇徳天皇(すとくてんのう)

第75代の天皇、在位1123年1月28日~1141年12月7日。鳥羽天皇の第1皇子。鳥羽法皇の死後、後白河天皇と争い保元の乱に敗れて讃岐(さぬき)に流されました。死後は怨霊として恐れられた。墓所は香川県坂出の白峯陵(しらみねのみささぎ)。

 

 保元の乱(ほげんのらん)

保元元年(1156年)京都に勃発した内乱。皇位継承に関する崇徳上皇と後白河天皇との対立に、摂関家の藤原頼長と忠通との家督争いが結びつき、上皇・頼長側は源為義・平忠正、後白河・忠通側は源義朝平清盛らの武士団を招じ入れて戦い上皇方が敗北した。上皇は讃岐に流され、頼長は戦傷死した。この乱はのちの武家政権成立への端緒をなした。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 後鳥羽天皇(ごとばてんのう)

第82代天皇(在位:1183年8月20日~1198年1月11日、高倉天皇の第4皇子。祖父後白河法皇の院政下、神器継承なしに即位し、譲位後、土御門(つちみかど)・順徳・仲恭(ちゅうきょう)3帝にわたって院政を執った。北条義時追討を謀って承久の乱を起こしたが失敗、隠岐(おき)に流された。蹴鞠・琵琶・笛などの芸能や和歌にもひいで新古今集を勅撰した。

 

 北条義時(ほうじょうよしとき)

1163~1224年、鎌倉幕府第2代執権。在職1205~1224。北条時政の次男。父時政の失脚ののち執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、北条氏の執権政治を固めた。

 

 六波羅探題(ろくはらたんだい)

承久の乱後、京都の政情を監察しかつ治安を維持するために設置した、政務・軍事を統轄する執政官。南北二名を定員とし西国諸国の訴訟を聴断するとともに、有事の際は在京人をはじめとする京都近国の御家人を指揮する権限が与えられていた。

 

 後鳥羽天皇(ごとばてんのう)

第82代天皇(在位:1183年8月20日~1198年1月11日、高倉天皇の第4皇子。祖父後白河法皇の院政下、神器継承なしに即位し、譲位後、土御門(つちみかど)・順徳・仲恭(ちゅうきょう)3帝にわたって院政を執った。北条義時追討を謀って承久の乱を起こしたが失敗、隠岐(おき)に流された。蹴鞠・琵琶・笛などの芸能や和歌にもひいで新古今集を勅撰した。

 

 北条義時(ほうじょうよしとき)

1163~1224年、鎌倉幕府第2代執権。在職1205~1224。北条時政の次男。父時政の失脚ののち執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、北条氏の執権政治を固めた。

 

 六波羅探題(ろくはらたんだい)

承久の乱後、京都の政情を監察しかつ治安を維持するために設置した、政務・軍事を統轄する執政官。南北二名を定員とし西国諸国の訴訟を聴断するとともに、有事の際は在京人をはじめとする京都近国の御家人を指揮する権限が与えられていた。

 

 後鳥羽天皇(ごとばてんのう)

第82代天皇(在位:1183年8月20日~1198年1月11日、高倉天皇の第4皇子。祖父後白河法皇の院政下、神器継承なしに即位し、譲位後、土御門(つちみかど)・順徳・仲恭(ちゅうきょう)3帝にわたって院政を執った。北条義時追討を謀って承久の乱を起こしたが失敗、隠岐(おき)に流された。蹴鞠・琵琶・笛などの芸能や和歌にもひいで新古今集を勅撰した。

 

 北条義時(ほうじょうよしとき)

1163~1224年、鎌倉幕府第2代執権。在職1205~1224。北条時政の次男。父時政の失脚ののち執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、北条氏の執権政治を固めた。

 

 六波羅探題(ろくはらたんだい)

承久の乱後、京都の政情を監察しかつ治安を維持するために設置した、政務・軍事を統轄する執政官。南北二名を定員とし西国諸国の訴訟を聴断するとともに、有事の際は在京人をはじめとする京都近国の御家人を指揮する権限が与えられていた。

 

 後白河天皇(ごしらかわてんのう)

第77代の天皇、在位1155年7月24日~1158年8月11日。鳥羽天皇の第四皇子。即位の際、崇徳上皇と対立、保元の乱を生じた。二条天皇に譲位後、五代にわたって院政をおこない、平氏政権から鎌倉幕府権力の確立に至る変革期にあって朝廷権威の存続を巧みにはかった。1169年出家して法皇となり、造寺・造仏に尽くした。

 

 北条義時(ほうじょうよしとき)

1163~1224年、鎌倉幕府第2代執権。在職1205~1224。北条時政の次男。父時政の失脚ののち執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、北条氏の執権政治を固めた。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 法然(ほうねん)・円光大師・黒谷上人

鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。1147年比叡山で源光の門に入り天台を学んだ。1150年教学などに対する疑問を生じ西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し、法然房源空と称した。

 

 浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、観無量寿経を重視して専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。

 

 浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、観無量寿経を重視して専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。

 

 浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、観無量寿経を重視して専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。

 

 浄土真宗(じょうどしんしゅう)

法然上人の弟子の親鸞上人を開祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の経典とするが、特に無量寿経により阿弥陀仏の本願の信心を重視し、称名念仏は仏恩報謝の行であるとするのを宗旨とする。門徒宗、一向宗とも呼ばれます。

 

 時宗(じしゅう)遊行宗(ゆぎょうしゅう)

日本仏教の一宗派。念仏系の宗派で1276年一遍(いっぺん)が開いた。阿弥陀経を根本経典とし経中の臨命終時の言葉を宗の名とした。

 

 法然(ほうねん)・円光大師・黒谷上人

鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。1147年比叡山で源光の門に入り天台を学んだ。1150年教学などに対する疑問を生じ西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し、法然房源空と称した。

 

 法然(ほうねん)・円光大師・黒谷上人

鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。1147年比叡山で源光の門に入り天台を学んだ。1150年教学などに対する疑問を生じ西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し、法然房源空と称した。

 

 後白河天皇(ごしらかわてんのう)

第77代の天皇、在位1155年7月24日~1158年8月11日。鳥羽天皇の第四皇子。即位の際、崇徳上皇と対立、保元の乱を生じた。二条天皇に譲位後、五代にわたって院政をおこない、平氏政権から鎌倉幕府権力の確立に至る変革期にあって朝廷権威の存続を巧みにはかった。1169年出家して法皇となり、造寺・造仏に尽くした。

 

 保元の乱(ほげんのらん)

保元元年(1156年)京都に勃発した内乱。皇位継承に関する崇徳上皇と後白河天皇との対立に、摂関家の藤原頼長と忠通との家督争いが結びつき、上皇・頼長側は源為義・平忠正、後白河・忠通側は源義朝平清盛らの武士団を招じ入れて戦い上皇方が敗北した。上皇は讃岐に流され、頼長は戦傷死した。この乱はのちの武家政権成立への端緒をなした。

 

 鳥羽天皇(とばてんのう)

第74代の天皇、在位1107年7月19日~1123年1月28日。堀河天皇第一皇子。崇徳・近衛・後白河の三代にわたって1129年から27年間、院政を行う。崇徳上皇と対立して後白河天皇を擁立、保元の乱の因となった。

 

 鳥羽天皇(とばてんのう)

第74代の天皇、在位1107年7月19日~1123年1月28日。堀河天皇第一皇子。崇徳・近衛・後白河の三代にわたって1129年から27年間、院政を行う。崇徳上皇と対立して後白河天皇を擁立、保元の乱の因となった。

 

 後白河天皇(ごしらかわてんのう)

第77代の天皇、在位1155年7月24日~1158年8月11日。鳥羽天皇の第四皇子。即位の際、崇徳上皇と対立、保元の乱を生じた。二条天皇に譲位後、五代にわたって院政をおこない、平氏政権から鎌倉幕府権力の確立に至る変革期にあって朝廷権威の存続を巧みにはかった。1169年出家して法皇となり、造寺・造仏に尽くした。

 

 保元の乱(ほげんのらん)

保元元年(1156年)京都に勃発した内乱。皇位継承に関する崇徳上皇と後白河天皇との対立に、摂関家の藤原頼長と忠通との家督争いが結びつき、上皇・頼長側は源為義・平忠正、後白河・忠通側は源義朝平清盛らの武士団を招じ入れて戦い上皇方が敗北した。上皇は讃岐に流され、頼長は戦傷死した。この乱はのちの武家政権成立への端緒をなした。

 

 後白河天皇(ごしらかわてんのう)

第77代の天皇、在位1155年7月24日~1158年8月11日。鳥羽天皇の第四皇子。即位の際、崇徳上皇と対立、保元の乱を生じた。二条天皇に譲位後、五代にわたって院政をおこない、平氏政権から鎌倉幕府権力の確立に至る変革期にあって朝廷権威の存続を巧みにはかった。1169年出家して法皇となり、造寺・造仏に尽くした。

 

 源義朝(みなもとよしとも)

1123~1160年、平安末期の武将。源為義の長男。保元の乱後白河天皇方に加わり功によって左馬頭となった。のち平清盛と対立、&link#Heijinoran&平治の乱を起こして敗死した。

 

 平清盛(たいらのきよもり)

1118~1181年、平安末期の武将。&link#TairanoTadamori&平忠盛の長男。白河法皇の落胤とも伝えられる。父の地位と遺産を受け継いで政界に進出。保元の乱・&link#Heijinoran&平治の乱により対立勢力を一掃、従一位太政大臣となる。娘徳子を&link#Takakuratennou&高倉天皇に入内させ官職を一門で独占、知行三十余国に及ぶ平氏政権を樹立した。

 

 後鳥羽天皇(ごとばてんのう)

第82代天皇(在位:1183年8月20日~1198年1月11日、高倉天皇の第4皇子。祖父後白河法皇の院政下、神器継承なしに即位し、譲位後、土御門(つちみかど)・順徳・仲恭(ちゅうきょう)3帝にわたって院政を執った。北条義時追討を謀って承久の乱を起こしたが失敗、隠岐(おき)に流された。蹴鞠・琵琶・笛などの芸能や和歌にもひいで新古今集を勅撰した。

 

 北条義時(ほうじょうよしとき)

1163~1224年、鎌倉幕府第2代執権。在職1205~1224。北条時政の次男。父時政の失脚ののち執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、北条氏の執権政治を固めた。

 

 六波羅探題(ろくはらたんだい)

承久の乱後、京都の政情を監察しかつ治安を維持するために設置した、政務・軍事を統轄する執政官。南北二名を定員とし西国諸国の訴訟を聴断するとともに、有事の際は在京人をはじめとする京都近国の御家人を指揮する権限が与えられていた。

 

 後白河天皇(ごしらかわてんのう)

第77代の天皇、在位1155年7月24日~1158年8月11日。鳥羽天皇の第四皇子。即位の際、崇徳上皇と対立、保元の乱を生じた。二条天皇に譲位後、五代にわたって院政をおこない、平氏政権から鎌倉幕府権力の確立に至る変革期にあって朝廷権威の存続を巧みにはかった。1169年出家して法皇となり、造寺・造仏に尽くした。

 

 北条義時(ほうじょうよしとき)

1163~1224年、鎌倉幕府第2代執権。在職1205~1224。北条時政の次男。父時政の失脚ののち執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、北条氏の執権政治を固めた。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 後白河天皇(ごしらかわてんのう)

第77代の天皇、在位1155年7月24日~1158年8月11日。鳥羽天皇の第四皇子。即位の際、崇徳上皇と対立、保元の乱を生じた。二条天皇に譲位後、五代にわたって院政をおこない、平氏政権から鎌倉幕府権力の確立に至る変革期にあって朝廷権威の存続を巧みにはかった。1169年出家して法皇となり、造寺・造仏に尽くした。

 

 北条義時(ほうじょうよしとき)

1163~1224年、鎌倉幕府第2代執権。在職1205~1224。北条時政の次男。父時政の失脚ののち執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、北条氏の執権政治を固めた。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 後白河天皇(ごしらかわてんのう)

第77代の天皇、在位1155年7月24日~1158年8月11日。鳥羽天皇の第四皇子。即位の際、崇徳上皇と対立、保元の乱を生じた。二条天皇に譲位後、五代にわたって院政をおこない、平氏政権から鎌倉幕府権力の確立に至る変革期にあって朝廷権威の存続を巧みにはかった。1169年出家して法皇となり、造寺・造仏に尽くした。

 

 北条義時(ほうじょうよしとき)

1163~1224年、鎌倉幕府第2代執権。在職1205~1224。北条時政の次男。父時政の失脚ののち執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、北条氏の執権政治を固めた。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 鳥羽天皇(とばてんのう)

第74代の天皇、在位1107年7月19日~1123年1月28日。堀河天皇第一皇子。崇徳・近衛・後白河の三代にわたって1129年から27年間、院政を行う。崇徳上皇と対立して後白河天皇を擁立、保元の乱の因となった。

 

 崇徳天皇(すとくてんのう)

第75代の天皇、在位1123年1月28日~1141年12月7日。鳥羽天皇の第1皇子。鳥羽法皇の死後、後白河天皇と争い保元の乱に敗れて讃岐(さぬき)に流されました。死後は怨霊として恐れられた。墓所は香川県坂出の白峯陵(しらみねのみささぎ)。

 

 保元の乱(ほげんのらん)

保元元年(1156年)京都に勃発した内乱。皇位継承に関する崇徳上皇と後白河天皇との対立に、摂関家の藤原頼長と忠通との家督争いが結びつき、上皇・頼長側は源為義・平忠正、後白河・忠通側は源義朝平清盛らの武士団を招じ入れて戦い上皇方が敗北した。上皇は讃岐に流され、頼長は戦傷死した。この乱はのちの武家政権成立への端緒をなした。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 後鳥羽天皇(ごとばてんのう)

第82代天皇(在位:1183年8月20日~1198年1月11日、高倉天皇の第4皇子。祖父後白河法皇の院政下、神器継承なしに即位し、譲位後、土御門(つちみかど)・順徳・仲恭(ちゅうきょう)3帝にわたって院政を執った。北条義時追討を謀って承久の乱を起こしたが失敗、隠岐(おき)に流された。蹴鞠・琵琶・笛などの芸能や和歌にもひいで新古今集を勅撰した。

 

 北条義時(ほうじょうよしとき)

1163~1224年、鎌倉幕府第2代執権。在職1205~1224。北条時政の次男。父時政の失脚ののち執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、北条氏の執権政治を固めた。

 

 六波羅探題(ろくはらたんだい)

承久の乱後、京都の政情を監察しかつ治安を維持するために設置した、政務・軍事を統轄する執政官。南北二名を定員とし西国諸国の訴訟を聴断するとともに、有事の際は在京人をはじめとする京都近国の御家人を指揮する権限が与えられていた。

 

TAG:鎌倉・源氏山 2013年12月13日
 
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