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あの頂を越えて

神社参拝

~神社を訪ねて~

あの頂を越えて

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~神社参拝:神社を訪ねて~

 榛名神社

 寺社の種類:神社・式内社・県社
 創建の時期:用明天皇元年(586年)
 主祭神:火産霊神埴山姫神
 社殿の様式:−
 所在地:群馬県高崎市榛名山町849
 訪問日:2013年5月2日

 

榛名神社は榛名山を御神体とする神社です。社伝によると創建は用明天皇元年で、明治時代までは満行宮榛名寺と呼ばれ上野寛永寺に属し神仏習合の歴史が続いたと言います。明治の神仏分離令により榛名神社となりました。

太々御神楽の額が掲げられています
榛名神社の大きな石鳥居
橋を渡ると随神門
四天王が護る隋神門
由緒の案内板
随神門に太々御神楽の額
杉木立の参道を登って
参道に秋葉神社の鳥居
見上げる千本杉
塩原太助奉納の玉垣
見上げる朝日岳、夕日岳
御廰宣の碑
塞神社
行者渓

境内には奇岩怪石が立ち並び権現造りの本殿は御神体の御姿岩を背に急な石段の先に祀られています。また階段の途中には武田信玄が戦勝を祈願して矢を射立てたと言う矢立杉もあります。

行者渓
万年泉
瓶子瀧
矢立杉
神幸殿
大岩の間の本殿
神社の案内板
双龍門
双龍門には見事な彫刻
龍の彫刻が刻まれた門
境内を守る天狗
権現造りの本殿
奉納額がかかる国祖殿
鎮護国家の扁額

榛名神社を訪れた時、境内は工事の最中です。見上げる岩壁の下は崩壊などの危険があるのか、鉄製の庇を造る工事が行われていました。確かに本殿の上にそそり立つ御姿岩は崩壊の危険がありそうなところです。

神楽殿
鉄灯篭
国祖殿の脇に額殿
本殿の彫刻
国祖殿
何の社?
落ちそうな御姿岩
御姿岩の下に本殿
振り返る境内
みすずの滝
東面堂跡
落石防止の覆い
鞍掛岩
桜の脇に延寿亭
本坊の石段
参道の先は八ヶ岳

境内には表情豊かな七福神の像が祀られています。なぜが福禄寿は見付けられませんでした。

寿老人
布袋さん
恵比寿さん
弁財天
大黒天
毘沙門天

帰りには榛名湖の湖畔をめぐって伊香保温泉に向かいました。5月の榛名湖は雪が消えたと言いながらまだ春には少し早いようでした。

榛名湖の先に掃部ヶ岳
芽吹きの始まらない榛名富士

 埴山姫神(はにやまひめ)

日本神話に登場する神様。伊耶那美命(いざなみのみこと)迦具土神(かぐつちのかみ)を生んだ際、女陰を火傷し苦しみながら出した糞から生まれた神。土の神として、農業や土木業界関係者から崇敬を集めています。

 

 用明天皇(ようめいてんのう)・橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)

第31代天皇(在位:585年9月5日~587年4月9日)欽明天皇第四皇子。聖徳太子の父。天皇の仏教受容をめぐって物部守屋蘇我馬子が対立した。

 

 神仏習合(しんぶつしゅうごう)神仏混淆(しんぶつこんこう)

日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

 権現造(ごんげんづくり)

本殿と拝殿とを石の間または相(あい)の間でつないだ神社建築様式。平安時代に始まり桃山時代から盛んになりました。日光東照宮本殿が代表的で東照大権現の名をとって権現造と言います。

 

 武田信玄(たけだしんげん)

1521~1573年、戦国時代の武将。名は晴信。父、信虎を追放して家督を継ぎ信濃に進出する。越後の上杉謙信と川中島で激戦を展開した。1572年、西上の途次三方ヶ原(みかたがはら)で徳川家康を破ったが翌年三河の陣中で病没。軍略家としてすぐれ信玄家法を制定、鉱山開発・治水にも業績をあげた。

 

 伊弉冉尊・伊邪那美命(いざなみのみこと)

古事記に登場する神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となりました。

 

 迦具土神(かぐつちのかみ)・火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)火産霊神(ほむすびのかみ)

古事記に登場する神で、伊邪那岐尊伊邪那美命によって生み出された最後の神です。出産時に伊邪那美命の陰部に火傷ができ、これがもとで伊邪那美命は死んでしまいます。怒った伊弉冉尊は十拳剣天之尾羽張(あめのおはばり)で殺してしまします。

迦具土神の血や死体からは多くの神が生まれました。

 

 欽明天皇(きんめいてんのう)・天国排開広庭尊(あめくにおしはらきひろにわのみこと)

第29代天皇(在位:539年12月5日~571年4月)継体天皇の皇子。磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや)を都とした。在位中に仏教が伝来。また、任那みまなの日本府が滅亡した。

 

 聖徳太子(しょうとくたいし)・厩戸皇子(うまやどのみこ)・豊聡耳 (とよとみみ)

574~622年、古代推古朝の摂政、用明天皇の皇子。推古天皇の皇太子となり摂政として内政・外交・仏教の興隆に力を尽した。

冠位十二階、十七条憲法を制定。豪族勢力を押えて中央集権的官僚国家建設の準備を整えた。外交面では任那回復のための新羅征討、小野妹子を隋に派遣して国交を開いた。

仏教を深く信仰し法隆寺、四天王寺などを建立し、仏典の注釈三経義疏を著わしたと伝えられる。

 

 物部守屋(もののべのもりや)

?~587年、敏達・用明朝の大連。排仏を主張して蘇我馬子と対立。用明天皇の死後、穴穂部皇子(あなほべのみこ)を推したが、蘇我馬子らに攻められて敗死。

 

 蘇我馬子(そがのうまこ)

?~626年、飛鳥時代の豪族。排仏派の物部守屋を滅ぼし、崇峻天皇を暗殺して実権を握った。

 

 本地垂迹(ほんちすいじゃく)

菩薩や仏陀がかりに神の姿をとって垂迹するという説、神は権現と呼ばれるようになった。神の正体とされる仏を本地仏と言う。神々に付会される仏は、宗派、信仰、寺院、神社によって異なる。

 

 神仏習合(しんぶつしゅうごう)神仏混淆(しんぶつこんこう)

日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。

 

 上杉謙信(うえすぎけんしん)長尾景虎(ながおかげとら)

1530~1578年、戦国時代の武将。越後守護代長尾為景の子。景虎、政虎、輝虎と改名する。越後春日山城にあって北陸地方一帯を領有、小田原北条氏、甲斐武田氏と対抗した。特に武田信玄との川中島の戦いは有名。

 

 徳川家康(とくがわいえやす)東照大権現(とうしょうだいごんげん)

1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。

 

 伊弉諾尊・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。

黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。

 

 伊弉諾尊・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。

黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。

 

 伊弉冉尊・伊邪那美命(いざなみのみこと)

古事記に登場する神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となりました。

 

 用明天皇(ようめいてんのう)・橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)

第31代天皇(在位:585年9月5日~587年4月9日)欽明天皇第四皇子。聖徳太子の父。天皇の仏教受容をめぐって物部守屋蘇我馬子が対立した。

 

 推古天皇(すいこてんのう)・額田部(ぬかたべ)・豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)

第33代天皇(在位:593年12月8日~628年3月7日)欽明天皇第三皇女。敏達天皇の皇后。崇峻天皇蘇我馬子に殺されると推されて即位。わが国最初の女帝となる。聖徳太子を皇太子、摂政として政治を行い飛鳥文化を現出。

 

 蘇我馬子(そがのうまこ)

?~626年、飛鳥時代の豪族。排仏派の物部守屋を滅ぼし、崇峻天皇を暗殺して実権を握った。

 

 用明天皇(ようめいてんのう)・橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)

第31代天皇(在位:585年9月5日~587年4月9日)欽明天皇第四皇子。聖徳太子の父。天皇の仏教受容をめぐって物部守屋蘇我馬子が対立した。

 

 物部守屋(もののべのもりや)

?~587年、敏達・用明朝の大連。排仏を主張して蘇我馬子と対立。用明天皇の死後、穴穂部皇子(あなほべのみこ)を推したが、蘇我馬子らに攻められて敗死。

 

 崇峻天皇(すしゅんてんのう)・泊瀬部 (はつせべ)

第32代天皇(在位:587年8月2日~592年11月3日)欽明天皇皇子。名は泊瀬部(はつせべ)。蘇我馬子(そがのうまこ)に擁立されたがのち対立して暗殺された。

 

 本地垂迹(ほんちすいじゃく)

菩薩や仏陀がかりに神の姿をとって垂迹するという説、神は権現と呼ばれるようになった。神の正体とされる仏を本地仏と言う。神々に付会される仏は、宗派、信仰、寺院、神社によって異なる。

 

 織田信長(おだのぶなが)

1534~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。織田信秀の子。桶狭間に今川義元を討って尾張一国を統一。京都に上って比叡山を焼き、浅井氏・朝倉氏を破り、将軍足利義昭(あしかがよしあき)を追放、武田勝頼を三河の長篠に破った。中国出陣の途中、京都本能寺で明智光秀の謀反にあった。

 

 豊臣秀吉(とよとみひでよし)

1536~1598年、安土桃山時代の武将。織田信長に仕え戦功をたて羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一した。

天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり豊臣を賜姓。検地・刀狩りなどを行い兵農分離を促進した。明国征服を志して朝鮮に出兵したが戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。

 

 石田三成(いしだみつなり)

1560~1600年、安土桃山時代の武将。豊臣秀吉に重用され、五奉行の一人として太閤検地などに活躍。秀吉の死後、遺子秀頼を擁ようして徳川家康と対立、関ヶ原の戦いに敗れ京で斬首された。

 

 関ヶ原の戦

慶長5年(1600年)関ヶ原で石田三成らの西軍と徳川家康らの東軍とが天下を争った戦い。小早川秀秋の寝返りにより東軍が大勝した。石田三成らは処刑され豊臣秀頼は60万石の大名に転落した。これにより徳川氏の覇権が確立した。

 

 伊弉冉尊・伊邪那美命(いざなみのみこと)

古事記に登場する神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となりました。

 

 伊弉冉尊・伊邪那美命(いざなみのみこと)

古事記に登場する神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となりました。

 

 伊弉諾尊・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。

黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。

 

 欽明天皇(きんめいてんのう)・天国排開広庭尊(あめくにおしはらきひろにわのみこと)

第29代天皇(在位:539年12月5日~571年4月)継体天皇の皇子。磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや)を都とした。在位中に仏教が伝来。また、任那みまなの日本府が滅亡した。

 

 聖徳太子(しょうとくたいし)・厩戸皇子(うまやどのみこ)・豊聡耳 (とよとみみ)

574~622年、古代推古朝の摂政、用明天皇の皇子。推古天皇の皇太子となり摂政として内政・外交・仏教の興隆に力を尽した。

冠位十二階、十七条憲法を制定。豪族勢力を押えて中央集権的官僚国家建設の準備を整えた。外交面では任那回復のための新羅征討、小野妹子を隋に派遣して国交を開いた。

仏教を深く信仰し法隆寺、四天王寺などを建立し、仏典の注釈三経義疏を著わしたと伝えられる。

 

 物部守屋(もののべのもりや)

?~587年、敏達・用明朝の大連。排仏を主張して蘇我馬子と対立。用明天皇の死後、穴穂部皇子(あなほべのみこ)を推したが、蘇我馬子らに攻められて敗死。

 

 蘇我馬子(そがのうまこ)

?~626年、飛鳥時代の豪族。排仏派の物部守屋を滅ぼし、崇峻天皇を暗殺して実権を握った。

 

 欽明天皇(きんめいてんのう)・天国排開広庭尊(あめくにおしはらきひろにわのみこと)

第29代天皇(在位:539年12月5日~571年4月)継体天皇の皇子。磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや)を都とした。在位中に仏教が伝来。また、任那みまなの日本府が滅亡した。

 

 敏達天皇(びたつてんのう)・訳語田渟中倉太珠敷尊(ぬなくらふとたましきのみこと)

第30代天皇(在位:572年4月3日~585年8月15日)欽明天皇第二皇子。任那復興を企て百済・新羅と交渉した。物部・中臣両氏の実力を背景に仏教排斥を断行した。

 

 崇峻天皇(すしゅんてんのう)・泊瀬部 (はつせべ)

第32代天皇(在位:587年8月2日~592年11月3日)欽明天皇皇子。名は泊瀬部(はつせべ)。蘇我馬子(そがのうまこ)に擁立されたがのち対立して暗殺された。

 

 蘇我馬子(そがのうまこ)

?~626年、飛鳥時代の豪族。排仏派の物部守屋を滅ぼし、崇峻天皇を暗殺して実権を握った。

 

 物部守屋(もののべのもりや)

?~587年、敏達・用明朝の大連。排仏を主張して蘇我馬子と対立。用明天皇の死後、穴穂部皇子(あなほべのみこ)を推したが、蘇我馬子らに攻められて敗死。

 

 崇峻天皇(すしゅんてんのう)・泊瀬部 (はつせべ)

第32代天皇(在位:587年8月2日~592年11月3日)欽明天皇皇子。名は泊瀬部(はつせべ)。蘇我馬子(そがのうまこ)に擁立されたがのち対立して暗殺された。

 

 欽明天皇(きんめいてんのう)・天国排開広庭尊(あめくにおしはらきひろにわのみこと)

第29代天皇(在位:539年12月5日~571年4月)継体天皇の皇子。磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや)を都とした。在位中に仏教が伝来。また、任那みまなの日本府が滅亡した。

 

 聖徳太子(しょうとくたいし)・厩戸皇子(うまやどのみこ)・豊聡耳 (とよとみみ)

574~622年、古代推古朝の摂政、用明天皇の皇子。推古天皇の皇太子となり摂政として内政・外交・仏教の興隆に力を尽した。

冠位十二階、十七条憲法を制定。豪族勢力を押えて中央集権的官僚国家建設の準備を整えた。外交面では任那回復のための新羅征討、小野妹子を隋に派遣して国交を開いた。

仏教を深く信仰し法隆寺、四天王寺などを建立し、仏典の注釈三経義疏を著わしたと伝えられる。

 

 物部守屋(もののべのもりや)

?~587年、敏達・用明朝の大連。排仏を主張して蘇我馬子と対立。用明天皇の死後、穴穂部皇子(あなほべのみこ)を推したが、蘇我馬子らに攻められて敗死。

 

 蘇我馬子(そがのうまこ)

?~626年、飛鳥時代の豪族。排仏派の物部守屋を滅ぼし、崇峻天皇を暗殺して実権を握った。

 

 蘇我馬子(そがのうまこ)

?~626年、飛鳥時代の豪族。排仏派の物部守屋を滅ぼし、崇峻天皇を暗殺して実権を握った。

 

 用明天皇(ようめいてんのう)・橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)

第31代天皇(在位:585年9月5日~587年4月9日)欽明天皇第四皇子。聖徳太子の父。天皇の仏教受容をめぐって物部守屋蘇我馬子が対立した。

 

 欽明天皇(きんめいてんのう)・天国排開広庭尊(あめくにおしはらきひろにわのみこと)

第29代天皇(在位:539年12月5日~571年4月)継体天皇の皇子。磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや)を都とした。在位中に仏教が伝来。また、任那みまなの日本府が滅亡した。

 

 蘇我馬子(そがのうまこ)

?~626年、飛鳥時代の豪族。排仏派の物部守屋を滅ぼし、崇峻天皇を暗殺して実権を握った。

 

 武田勝頼(たけだかつより)

1546~1582年、戦国時代の武将。武田信玄の子。信玄没後家督を継ぎ美濃・遠江・三河に進出したが、長篠の戦いに大敗。以後衰運をたどり織田・徳川軍に追い詰められ天目山麓で自刃、武田氏は滅亡した。

 

 明智光秀(あけちみつひで)

1528~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。美濃の生まれ。織田信長に重用されたが、1582年6月2日、京都本能寺に信長を襲い自害させた。山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れ逃走中土民に殺された。

 

 織田信長(おだのぶなが)

1534~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。織田信秀の子。桶狭間に今川義元を討って尾張一国を統一。京都に上って比叡山を焼き、浅井氏・朝倉氏を破り、将軍足利義昭(あしかがよしあき)を追放、武田勝頼を三河の長篠に破った。中国出陣の途中、京都本能寺で明智光秀の謀反にあった。

 

 豊臣秀吉(とよとみひでよし)

1536~1598年、安土桃山時代の武将。織田信長に仕え戦功をたて羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一した。

天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり豊臣を賜姓。検地・刀狩りなどを行い兵農分離を促進した。明国征服を志して朝鮮に出兵したが戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。

 

 明智光秀(あけちみつひで)

1528~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。美濃の生まれ。織田信長に重用されたが、1582年6月2日、京都本能寺に信長を襲い自害させた。山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れ逃走中土民に殺された。

 

 柴田勝家(しばたかついえ)

1522~1583年、安土桃山時代の武将。織田信長の臣。越前北ノ庄に拠って北陸を支配。&link#Honnoujinohen&本能寺の変後、豊臣秀吉と対立、&link#Sizugatakenotatakai&賤ヶ岳の戦いに敗れ北ノ庄で自害した。

 

 豊臣秀吉(とよとみひでよし)

1536~1598年、安土桃山時代の武将。織田信長に仕え戦功をたて羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一した。

天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり豊臣を賜姓。検地・刀狩りなどを行い兵農分離を促進した。明国征服を志して朝鮮に出兵したが戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。

 

 豊臣秀頼(とよとみひでより)

1593~1615年、安土桃山・江戸前期の大名。大坂城主。豊臣秀吉の次男。徳川家康の将軍就任に伴い一大名となる。方広寺鐘銘事件を端に徳川家との間に&link#Oosakafuyunojin&大坂冬の陣を起こす。一旦講和するが&link#Oosakanatunojin&大坂夏の陣に敗れた。

 

 徳川家康(とくがわいえやす)東照大権現(とうしょうだいごんげん)

1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。

 

 関ヶ原の戦

慶長5年(1600年)関ヶ原で石田三成らの西軍と徳川家康らの東軍とが天下を争った戦い。小早川秀秋の寝返りにより東軍が大勝した。石田三成らは処刑され豊臣秀頼は60万石の大名に転落した。これにより徳川氏の覇権が確立した。

 

 石田三成(いしだみつなり)

1560~1600年、安土桃山時代の武将。豊臣秀吉に重用され、五奉行の一人として太閤検地などに活躍。秀吉の死後、遺子秀頼を擁ようして徳川家康と対立、関ヶ原の戦いに敗れ京で斬首された。

 

 徳川家康(とくがわいえやす)東照大権現(とうしょうだいごんげん)

1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。

 

 豊臣秀頼(とよとみひでより)

1593~1615年、安土桃山・江戸前期の大名。大坂城主。豊臣秀吉の次男。徳川家康の将軍就任に伴い一大名となる。方広寺鐘銘事件を端に徳川家との間に&link#Oosakafuyunojin&大坂冬の陣を起こす。一旦講和するが&link#Oosakanatunojin&大坂夏の陣に敗れた。

 

 伊弉諾尊・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。

黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。

 

 伊弉諾尊・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。

黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。

 

 伊弉冉尊・伊邪那美命(いざなみのみこと)

古事記に登場する神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となりました。

 

 用明天皇(ようめいてんのう)・橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)

第31代天皇(在位:585年9月5日~587年4月9日)欽明天皇第四皇子。聖徳太子の父。天皇の仏教受容をめぐって物部守屋蘇我馬子が対立した。

 

 推古天皇(すいこてんのう)・額田部(ぬかたべ)・豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)

第33代天皇(在位:593年12月8日~628年3月7日)欽明天皇第三皇女。敏達天皇の皇后。崇峻天皇蘇我馬子に殺されると推されて即位。わが国最初の女帝となる。聖徳太子を皇太子、摂政として政治を行い飛鳥文化を現出。

 

 蘇我馬子(そがのうまこ)

?~626年、飛鳥時代の豪族。排仏派の物部守屋を滅ぼし、崇峻天皇を暗殺して実権を握った。

 

 用明天皇(ようめいてんのう)・橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)

第31代天皇(在位:585年9月5日~587年4月9日)欽明天皇第四皇子。聖徳太子の父。天皇の仏教受容をめぐって物部守屋蘇我馬子が対立した。

 

 物部守屋(もののべのもりや)

?~587年、敏達・用明朝の大連。排仏を主張して蘇我馬子と対立。用明天皇の死後、穴穂部皇子(あなほべのみこ)を推したが、蘇我馬子らに攻められて敗死。

 

 崇峻天皇(すしゅんてんのう)・泊瀬部 (はつせべ)

第32代天皇(在位:587年8月2日~592年11月3日)欽明天皇皇子。名は泊瀬部(はつせべ)。蘇我馬子(そがのうまこ)に擁立されたがのち対立して暗殺された。

 

 欽明天皇(きんめいてんのう)・天国排開広庭尊(あめくにおしはらきひろにわのみこと)

第29代天皇(在位:539年12月5日~571年4月)継体天皇の皇子。磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや)を都とした。在位中に仏教が伝来。また、任那みまなの日本府が滅亡した。

 

 欽明天皇(きんめいてんのう)・天国排開広庭尊(あめくにおしはらきひろにわのみこと)

第29代天皇(在位:539年12月5日~571年4月)継体天皇の皇子。磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや)を都とした。在位中に仏教が伝来。また、任那みまなの日本府が滅亡した。

 

 蘇我馬子(そがのうまこ)

?~626年、飛鳥時代の豪族。排仏派の物部守屋を滅ぼし、崇峻天皇を暗殺して実権を握った。

 

 物部守屋(もののべのもりや)

?~587年、敏達・用明朝の大連。排仏を主張して蘇我馬子と対立。用明天皇の死後、穴穂部皇子(あなほべのみこ)を推したが、蘇我馬子らに攻められて敗死。

 

 崇峻天皇(すしゅんてんのう)・泊瀬部 (はつせべ)

第32代天皇(在位:587年8月2日~592年11月3日)欽明天皇皇子。名は泊瀬部(はつせべ)。蘇我馬子(そがのうまこ)に擁立されたがのち対立して暗殺された。

 

 蘇我馬子(そがのうまこ)

?~626年、飛鳥時代の豪族。排仏派の物部守屋を滅ぼし、崇峻天皇を暗殺して実権を握った。

 

 用明天皇(ようめいてんのう)・橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)

第31代天皇(在位:585年9月5日~587年4月9日)欽明天皇第四皇子。聖徳太子の父。天皇の仏教受容をめぐって物部守屋蘇我馬子が対立した。

 

 欽明天皇(きんめいてんのう)・天国排開広庭尊(あめくにおしはらきひろにわのみこと)

第29代天皇(在位:539年12月5日~571年4月)継体天皇の皇子。磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや)を都とした。在位中に仏教が伝来。また、任那みまなの日本府が滅亡した。

 

 蘇我馬子(そがのうまこ)

?~626年、飛鳥時代の豪族。排仏派の物部守屋を滅ぼし、崇峻天皇を暗殺して実権を握った。

 

 用明天皇(ようめいてんのう)・橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)

第31代天皇(在位:585年9月5日~587年4月9日)欽明天皇第四皇子。聖徳太子の父。天皇の仏教受容をめぐって物部守屋蘇我馬子が対立した。

 

 推古天皇(すいこてんのう)・額田部(ぬかたべ)・豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)

第33代天皇(在位:593年12月8日~628年3月7日)欽明天皇第三皇女。敏達天皇の皇后。崇峻天皇蘇我馬子に殺されると推されて即位。わが国最初の女帝となる。聖徳太子を皇太子、摂政として政治を行い飛鳥文化を現出。

 

 蘇我馬子(そがのうまこ)

?~626年、飛鳥時代の豪族。排仏派の物部守屋を滅ぼし、崇峻天皇を暗殺して実権を握った。

 

 用明天皇(ようめいてんのう)・橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)

第31代天皇(在位:585年9月5日~587年4月9日)欽明天皇第四皇子。聖徳太子の父。天皇の仏教受容をめぐって物部守屋蘇我馬子が対立した。

 

 物部守屋(もののべのもりや)

?~587年、敏達・用明朝の大連。排仏を主張して蘇我馬子と対立。用明天皇の死後、穴穂部皇子(あなほべのみこ)を推したが、蘇我馬子らに攻められて敗死。

 

 崇峻天皇(すしゅんてんのう)・泊瀬部 (はつせべ)

第32代天皇(在位:587年8月2日~592年11月3日)欽明天皇皇子。名は泊瀬部(はつせべ)。蘇我馬子(そがのうまこ)に擁立されたがのち対立して暗殺された。

 

 物部守屋(もののべのもりや)

?~587年、敏達・用明朝の大連。排仏を主張して蘇我馬子と対立。用明天皇の死後、穴穂部皇子(あなほべのみこ)を推したが、蘇我馬子らに攻められて敗死。

 

 崇峻天皇(すしゅんてんのう)・泊瀬部 (はつせべ)

第32代天皇(在位:587年8月2日~592年11月3日)欽明天皇皇子。名は泊瀬部(はつせべ)。蘇我馬子(そがのうまこ)に擁立されたがのち対立して暗殺された。

 

 欽明天皇(きんめいてんのう)・天国排開広庭尊(あめくにおしはらきひろにわのみこと)

第29代天皇(在位:539年12月5日~571年4月)継体天皇の皇子。磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや)を都とした。在位中に仏教が伝来。また、任那みまなの日本府が滅亡した。

 

 聖徳太子(しょうとくたいし)・厩戸皇子(うまやどのみこ)・豊聡耳 (とよとみみ)

574~622年、古代推古朝の摂政、用明天皇の皇子。推古天皇の皇太子となり摂政として内政・外交・仏教の興隆に力を尽した。

冠位十二階、十七条憲法を制定。豪族勢力を押えて中央集権的官僚国家建設の準備を整えた。外交面では任那回復のための新羅征討、小野妹子を隋に派遣して国交を開いた。

仏教を深く信仰し法隆寺、四天王寺などを建立し、仏典の注釈三経義疏を著わしたと伝えられる。

 

 物部守屋(もののべのもりや)

?~587年、敏達・用明朝の大連。排仏を主張して蘇我馬子と対立。用明天皇の死後、穴穂部皇子(あなほべのみこ)を推したが、蘇我馬子らに攻められて敗死。

 

 蘇我馬子(そがのうまこ)

?~626年、飛鳥時代の豪族。排仏派の物部守屋を滅ぼし、崇峻天皇を暗殺して実権を握った。

 

 物部守屋(もののべのもりや)

?~587年、敏達・用明朝の大連。排仏を主張して蘇我馬子と対立。用明天皇の死後、穴穂部皇子(あなほべのみこ)を推したが、蘇我馬子らに攻められて敗死。

 

 崇峻天皇(すしゅんてんのう)・泊瀬部 (はつせべ)

第32代天皇(在位:587年8月2日~592年11月3日)欽明天皇皇子。名は泊瀬部(はつせべ)。蘇我馬子(そがのうまこ)に擁立されたがのち対立して暗殺された。

 

 武田信玄(たけだしんげん)

1521~1573年、戦国時代の武将。名は晴信。父、信虎を追放して家督を継ぎ信濃に進出する。越後の上杉謙信と川中島で激戦を展開した。1572年、西上の途次三方ヶ原(みかたがはら)で徳川家康を破ったが翌年三河の陣中で病没。軍略家としてすぐれ信玄家法を制定、鉱山開発・治水にも業績をあげた。

 

 長篠の戦(ながしののたたかい)

1575年5月、長篠城の西方設楽原で行われた織田信長徳川家康連合軍と武田勝頼軍との戦い。連合軍は多量の鉄砲を用いて大勝利を得た。

 

 織田信長(おだのぶなが)

1534~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。織田信秀の子。桶狭間に今川義元を討って尾張一国を統一。京都に上って比叡山を焼き、浅井氏・朝倉氏を破り、将軍足利義昭(あしかがよしあき)を追放、武田勝頼を三河の長篠に破った。中国出陣の途中、京都本能寺で明智光秀の謀反にあった。

 

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