topimg

あの頂を越えて

寺院参拝

~お寺を訪ねて~

あの頂を越えて

homeBtn backBtn

~寺院参拝:お寺を訪ねて~

 石尊山観音寺

 寺社の種類:曹洞宗
 創建の時期:明応9年(1500年)天山見亮禅師により再興
 所在地:群馬県沼田市下発知町332
 訪問日:2012年4月16日

 

石尊山観音寺は戸神山の山裾に祀られる古刹です。創建当初は天台宗に属していましたがその後臨済宗となり、明応9年(1500年)に迦葉山三世、天山見亮大和尚により曹洞宗のお寺として再興されました。

観音寺の本堂
お寺の歴史を紹介する案内板
境内には新しい石仏
石の石柱が建つ参道

戸神山から続く杉林の中を下ってくると明るい斜面の中に赤い屋根のお寺が建っていました。参道には最近整備された新しい干支にまつわる石仏や、六地蔵の石像が祀られていました。4月の中旬と言いながら沼田の春はようやくそこまでやってきたようです。斜面には土筆やオオイヌノイヌフグリの花が咲き始めていました。

関連記録・コース

 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

 聖観音菩薩・正観音菩薩(せいかんのん)

六道を教化する六観音の一つ、地獄道を化益するという。1面2臂のが特徴とされる。

 

 天台宗(てんだいしゅう)

法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智?(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。

 

 臨済宗(りんざいしゅう)

禅宗の一派。鎌倉初期に入宋した明庵栄西(みようあんえいさい)が黄竜派の禅を伝えたのに始まる。鎌倉・室町時代に大いに興隆し、室町幕府は五山の制をつくって保護した。

 

 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

 六地蔵(ろくじぞう)

六道のそれぞれにあって衆生の苦しみを救う6体の地蔵菩薩(ぼさつ)。地獄道の檀陀(だんだ)、餓鬼道の宝珠(ほうじゅ)、畜生道の宝印、修羅道の持地(じじ)、人間道の除蓋障(じょがいしょう)、天道の日光の各地蔵菩薩とするが異説もある。

 

 道元(どうげん)・承陽大師

鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

 鑑真(がんじん)・過海大師・唐大和上(とうだいわじょう)

中国、唐代の高僧。日本律宗の開祖。揚州大明(たいめい)寺で戒律を講じ名声があった。742年日本僧栄叡(ようえい)らの請に応じて来日を志したが海賊や風波の災で5度挫折の後、754年渡来した。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

 室町幕府(むろまちばくふ)

足利氏が京都に開いた幕府。1336年足利尊氏の建武式目制定をもって創始された武家政権。鎌倉幕府の制度・機構をほぼ継承して発足し、南北朝合体によって全国統一政権となった。しかし守護領国制の発展による地方分権化に対抗しえず、特に応仁の乱以降は、群雄割拠の戦国時代と化し1573年一五代義昭が織田信長に追放され滅亡。

 

 道元(どうげん)・承陽大師

鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。

 

 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)

釈迦の入滅後から弥勒菩薩が世に現れるまでの間、無仏の世に住み六道の衆生を教え導くことを誓いとした菩薩。慈愛に満ちた円満柔和な僧形で、多くは右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。

 

 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

 天台宗(てんだいしゅう)

法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智?(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 応仁の乱(おうにんのらん)

応仁1年(1467年)から文明9年(1477年)11年間続いた内乱。細川勝元山名持豊(宗全)との対立に、将軍足利義政の跡継ぎ問題、斯波・畠山両管領家の相続争いがからんで、諸国の守護大名が細川方の東軍と山名方の西軍に分かれて戦った。戦乱は地方に拡散し戦国時代を現出した。京都は荒廃し以後幕府の権威は失墜した。

 

 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 弥勒菩薩(みろくぼさつ)

釈迦の入滅から56億7000万年後の未来の世に仏となってこの世にくだり、衆生を救済するという菩薩

 

 錫杖(しゃくじょう)

僧侶や修験者が持ち歩く杖。頭部は塔婆形で数個の環がかけてあり、振ったり地面を強く突いたりして鳴らす。

 

 道元(どうげん)・承陽大師

鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。

 

 鑑真(がんじん)・過海大師・唐大和上(とうだいわじょう)

中国、唐代の高僧。日本律宗の開祖。揚州大明(たいめい)寺で戒律を講じ名声があった。742年日本僧栄叡(ようえい)らの請に応じて来日を志したが海賊や風波の災で5度挫折の後、754年渡来した。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

 真言宗(しんごんしゅう)

弘法大師空海(774~835)が唐で学んだ密教を教義に平安初期に開いた。大日如来を教主とし、身口意(しんくい)三密の加持力で即身成仏(じょうぶつ)させるのを本旨とする。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

 細川勝元(ほそかわかつもと)

1430~1473年、室町中期の武将。将軍家や畠山・斯波氏の継嗣争いをめぐって山名宗全と対立。応仁の乱では東軍の将として戦ったが陣中で病没した。竜安寺・竜興寺を建てた。

 

 山名宗全(やまなそうぜん)・山名持豊(やまなもちとよ)

1404~1473年、室町中期の武将。1435年山名氏惣領となる。嘉吉の乱(かきつのらん)で赤松氏を討ち、その功で播磨・石見などを与えられ一族の勢威を回復。応仁の乱では日野富子・足利義尚を支持して西軍の大将となり細川勝元と戦った。

 

 足利義政(あしかがよしまさ)

1435~1490年、室町幕府八代将軍(在職1449~1473)。足利義教(あしかがよしのり)の子。弟義視(よしみ)を養子としたが翌年実子義尚(よしひさ)が生まれ、将軍継嗣争いは応仁の乱の一因となった。1473年将軍職を義尚に譲り、のち東山に銀閣を建立。宗教・芸術を愛好し東山文化が栄える因をなした。

 

 道元(どうげん)・承陽大師

鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

 天台宗(てんだいしゅう)

法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智?(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 大日如来(だいにちにょらい)

真言密教の教主。諸仏、諸菩薩の根元をなす理智体で宇宙の実相を仏格化した根本仏とされる。智徳の表現が金剛界大日、理徳の表現が胎蔵界大日とされ、天台宗では大日如来釈迦如来は法身、応身で同体とし、真言宗では釈迦如来は顕教の教主とみて異体とする。

 

 天台宗(てんだいしゅう)

法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智?(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 山名宗全(やまなそうぜん)・山名持豊(やまなもちとよ)

1404~1473年、室町中期の武将。1435年山名氏惣領となる。嘉吉の乱(かきつのらん)で赤松氏を討ち、その功で播磨・石見などを与えられ一族の勢威を回復。応仁の乱では日野富子・足利義尚を支持して西軍の大将となり細川勝元と戦った。

 

 応仁の乱(おうにんのらん)

応仁1年(1467年)から文明9年(1477年)11年間続いた内乱。細川勝元山名持豊(宗全)との対立に、将軍足利義政の跡継ぎ問題、斯波・畠山両管領家の相続争いがからんで、諸国の守護大名が細川方の東軍と山名方の西軍に分かれて戦った。戦乱は地方に拡散し戦国時代を現出した。京都は荒廃し以後幕府の権威は失墜した。

 

 応仁の乱(おうにんのらん)

応仁1年(1467年)から文明9年(1477年)11年間続いた内乱。細川勝元山名持豊(宗全)との対立に、将軍足利義政の跡継ぎ問題、斯波・畠山両管領家の相続争いがからんで、諸国の守護大名が細川方の東軍と山名方の西軍に分かれて戦った。戦乱は地方に拡散し戦国時代を現出した。京都は荒廃し以後幕府の権威は失墜した。

 

 足利義尚(あしががよしなお)

1465~1489年、室町幕府九代将軍(在職1473~1489)。足利義政・日野富子の子。叔父足利義視(あしかがよしみ)と将軍継嗣を争い応仁の乱を誘発した。近江の六角高頼討伐のために出陣中病死。

 

 細川勝元(ほそかわかつもと)

1430~1473年、室町中期の武将。将軍家や畠山・斯波氏の継嗣争いをめぐって山名宗全と対立。応仁の乱では東軍の将として戦ったが陣中で病没した。竜安寺・竜興寺を建てた。

 

 応仁の乱(おうにんのらん)

応仁1年(1467年)から文明9年(1477年)11年間続いた内乱。細川勝元山名持豊(宗全)との対立に、将軍足利義政の跡継ぎ問題、斯波・畠山両管領家の相続争いがからんで、諸国の守護大名が細川方の東軍と山名方の西軍に分かれて戦った。戦乱は地方に拡散し戦国時代を現出した。京都は荒廃し以後幕府の権威は失墜した。

 

 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

 道元(どうげん)・承陽大師

鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。

 

 鑑真(がんじん)・過海大師・唐大和上(とうだいわじょう)

中国、唐代の高僧。日本律宗の開祖。揚州大明(たいめい)寺で戒律を講じ名声があった。742年日本僧栄叡(ようえい)らの請に応じて来日を志したが海賊や風波の災で5度挫折の後、754年渡来した。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

 真言宗(しんごんしゅう)

弘法大師空海(774~835)が唐で学んだ密教を教義に平安初期に開いた。大日如来を教主とし、身口意(しんくい)三密の加持力で即身成仏(じょうぶつ)させるのを本旨とする。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

 真言宗(しんごんしゅう)

弘法大師空海(774~835)が唐で学んだ密教を教義に平安初期に開いた。大日如来を教主とし、身口意(しんくい)三密の加持力で即身成仏(じょうぶつ)させるのを本旨とする。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

 大日如来(だいにちにょらい)

真言密教の教主。諸仏、諸菩薩の根元をなす理智体で宇宙の実相を仏格化した根本仏とされる。智徳の表現が金剛界大日、理徳の表現が胎蔵界大日とされ、天台宗では大日如来釈迦如来は法身、応身で同体とし、真言宗では釈迦如来は顕教の教主とみて異体とする。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 鑑真(がんじん)・過海大師・唐大和上(とうだいわじょう)

中国、唐代の高僧。日本律宗の開祖。揚州大明(たいめい)寺で戒律を講じ名声があった。742年日本僧栄叡(ようえい)らの請に応じて来日を志したが海賊や風波の災で5度挫折の後、754年渡来した。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

 真言宗(しんごんしゅう)

弘法大師空海(774~835)が唐で学んだ密教を教義に平安初期に開いた。大日如来を教主とし、身口意(しんくい)三密の加持力で即身成仏(じょうぶつ)させるのを本旨とする。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

 応仁の乱(おうにんのらん)

応仁1年(1467年)から文明9年(1477年)11年間続いた内乱。細川勝元山名持豊(宗全)との対立に、将軍足利義政の跡継ぎ問題、斯波・畠山両管領家の相続争いがからんで、諸国の守護大名が細川方の東軍と山名方の西軍に分かれて戦った。戦乱は地方に拡散し戦国時代を現出した。京都は荒廃し以後幕府の権威は失墜した。

 

 足利義尚(あしががよしなお)

1465~1489年、室町幕府九代将軍(在職1473~1489)。足利義政・日野富子の子。叔父足利義視(あしかがよしみ)と将軍継嗣を争い応仁の乱を誘発した。近江の六角高頼討伐のために出陣中病死。

 

 細川勝元(ほそかわかつもと)

1430~1473年、室町中期の武将。将軍家や畠山・斯波氏の継嗣争いをめぐって山名宗全と対立。応仁の乱では東軍の将として戦ったが陣中で病没した。竜安寺・竜興寺を建てた。

 

 細川勝元(ほそかわかつもと)

1430~1473年、室町中期の武将。将軍家や畠山・斯波氏の継嗣争いをめぐって山名宗全と対立。応仁の乱では東軍の将として戦ったが陣中で病没した。竜安寺・竜興寺を建てた。

 

 山名宗全(やまなそうぜん)・山名持豊(やまなもちとよ)

1404~1473年、室町中期の武将。1435年山名氏惣領となる。嘉吉の乱(かきつのらん)で赤松氏を討ち、その功で播磨・石見などを与えられ一族の勢威を回復。応仁の乱では日野富子・足利義尚を支持して西軍の大将となり細川勝元と戦った。

 

 足利義政(あしかがよしまさ)

1435~1490年、室町幕府八代将軍(在職1449~1473)。足利義教(あしかがよしのり)の子。弟義視(よしみ)を養子としたが翌年実子義尚(よしひさ)が生まれ、将軍継嗣争いは応仁の乱の一因となった。1473年将軍職を義尚に譲り、のち東山に銀閣を建立。宗教・芸術を愛好し東山文化が栄える因をなした。

 

 細川勝元(ほそかわかつもと)

1430~1473年、室町中期の武将。将軍家や畠山・斯波氏の継嗣争いをめぐって山名宗全と対立。応仁の乱では東軍の将として戦ったが陣中で病没した。竜安寺・竜興寺を建てた。

 

 山名宗全(やまなそうぜん)・山名持豊(やまなもちとよ)

1404~1473年、室町中期の武将。1435年山名氏惣領となる。嘉吉の乱(かきつのらん)で赤松氏を討ち、その功で播磨・石見などを与えられ一族の勢威を回復。応仁の乱では日野富子・足利義尚を支持して西軍の大将となり細川勝元と戦った。

 

 足利義政(あしかがよしまさ)

1435~1490年、室町幕府八代将軍(在職1449~1473)。足利義教(あしかがよしのり)の子。弟義視(よしみ)を養子としたが翌年実子義尚(よしひさ)が生まれ、将軍継嗣争いは応仁の乱の一因となった。1473年将軍職を義尚に譲り、のち東山に銀閣を建立。宗教・芸術を愛好し東山文化が栄える因をなした。

 

 足利義政(あしかがよしまさ)

1435~1490年、室町幕府八代将軍(在職1449~1473)。足利義教(あしかがよしのり)の子。弟義視(よしみ)を養子としたが翌年実子義尚(よしひさ)が生まれ、将軍継嗣争いは応仁の乱の一因となった。1473年将軍職を義尚に譲り、のち東山に銀閣を建立。宗教・芸術を愛好し東山文化が栄える因をなした。

 

 応仁の乱(おうにんのらん)

応仁1年(1467年)から文明9年(1477年)11年間続いた内乱。細川勝元山名持豊(宗全)との対立に、将軍足利義政の跡継ぎ問題、斯波・畠山両管領家の相続争いがからんで、諸国の守護大名が細川方の東軍と山名方の西軍に分かれて戦った。戦乱は地方に拡散し戦国時代を現出した。京都は荒廃し以後幕府の権威は失墜した。

 

 山名宗全(やまなそうぜん)・山名持豊(やまなもちとよ)

1404~1473年、室町中期の武将。1435年山名氏惣領となる。嘉吉の乱(かきつのらん)で赤松氏を討ち、その功で播磨・石見などを与えられ一族の勢威を回復。応仁の乱では日野富子・足利義尚を支持して西軍の大将となり細川勝元と戦った。

 

 応仁の乱(おうにんのらん)

応仁1年(1467年)から文明9年(1477年)11年間続いた内乱。細川勝元山名持豊(宗全)との対立に、将軍足利義政の跡継ぎ問題、斯波・畠山両管領家の相続争いがからんで、諸国の守護大名が細川方の東軍と山名方の西軍に分かれて戦った。戦乱は地方に拡散し戦国時代を現出した。京都は荒廃し以後幕府の権威は失墜した。

 

 細川勝元(ほそかわかつもと)

1430~1473年、室町中期の武将。将軍家や畠山・斯波氏の継嗣争いをめぐって山名宗全と対立。応仁の乱では東軍の将として戦ったが陣中で病没した。竜安寺・竜興寺を建てた。

 

 山名宗全(やまなそうぜん)・山名持豊(やまなもちとよ)

1404~1473年、室町中期の武将。1435年山名氏惣領となる。嘉吉の乱(かきつのらん)で赤松氏を討ち、その功で播磨・石見などを与えられ一族の勢威を回復。応仁の乱では日野富子・足利義尚を支持して西軍の大将となり細川勝元と戦った。

 

 足利義政(あしかがよしまさ)

1435~1490年、室町幕府八代将軍(在職1449~1473)。足利義教(あしかがよしのり)の子。弟義視(よしみ)を養子としたが翌年実子義尚(よしひさ)が生まれ、将軍継嗣争いは応仁の乱の一因となった。1473年将軍職を義尚に譲り、のち東山に銀閣を建立。宗教・芸術を愛好し東山文化が栄える因をなした。

 

 道元(どうげん)・承陽大師

鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。

 

 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

 天台宗(てんだいしゅう)

法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智?(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 大日如来(だいにちにょらい)

真言密教の教主。諸仏、諸菩薩の根元をなす理智体で宇宙の実相を仏格化した根本仏とされる。智徳の表現が金剛界大日、理徳の表現が胎蔵界大日とされ、天台宗では大日如来釈迦如来は法身、応身で同体とし、真言宗では釈迦如来は顕教の教主とみて異体とする。

 

 天台宗(てんだいしゅう)

法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智?(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 大日如来(だいにちにょらい)

真言密教の教主。諸仏、諸菩薩の根元をなす理智体で宇宙の実相を仏格化した根本仏とされる。智徳の表現が金剛界大日、理徳の表現が胎蔵界大日とされ、天台宗では大日如来釈迦如来は法身、応身で同体とし、真言宗では釈迦如来は顕教の教主とみて異体とする。

 

 天台宗(てんだいしゅう)

法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智?(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 大日如来(だいにちにょらい)

真言密教の教主。諸仏、諸菩薩の根元をなす理智体で宇宙の実相を仏格化した根本仏とされる。智徳の表現が金剛界大日、理徳の表現が胎蔵界大日とされ、天台宗では大日如来釈迦如来は法身、応身で同体とし、真言宗では釈迦如来は顕教の教主とみて異体とする。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 天台宗(てんだいしゅう)

法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智?(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 大日如来(だいにちにょらい)

真言密教の教主。諸仏、諸菩薩の根元をなす理智体で宇宙の実相を仏格化した根本仏とされる。智徳の表現が金剛界大日、理徳の表現が胎蔵界大日とされ、天台宗では大日如来釈迦如来は法身、応身で同体とし、真言宗では釈迦如来は顕教の教主とみて異体とする。

 

 天台宗(てんだいしゅう)

法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智?(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 細川勝元(ほそかわかつもと)

1430~1473年、室町中期の武将。将軍家や畠山・斯波氏の継嗣争いをめぐって山名宗全と対立。応仁の乱では東軍の将として戦ったが陣中で病没した。竜安寺・竜興寺を建てた。

 

 山名宗全(やまなそうぜん)・山名持豊(やまなもちとよ)

1404~1473年、室町中期の武将。1435年山名氏惣領となる。嘉吉の乱(かきつのらん)で赤松氏を討ち、その功で播磨・石見などを与えられ一族の勢威を回復。応仁の乱では日野富子・足利義尚を支持して西軍の大将となり細川勝元と戦った。

 

 足利義政(あしかがよしまさ)

1435~1490年、室町幕府八代将軍(在職1449~1473)。足利義教(あしかがよしのり)の子。弟義視(よしみ)を養子としたが翌年実子義尚(よしひさ)が生まれ、将軍継嗣争いは応仁の乱の一因となった。1473年将軍職を義尚に譲り、のち東山に銀閣を建立。宗教・芸術を愛好し東山文化が栄える因をなした。

 

 足利義政(あしかがよしまさ)

1435~1490年、室町幕府八代将軍(在職1449~1473)。足利義教(あしかがよしのり)の子。弟義視(よしみ)を養子としたが翌年実子義尚(よしひさ)が生まれ、将軍継嗣争いは応仁の乱の一因となった。1473年将軍職を義尚に譲り、のち東山に銀閣を建立。宗教・芸術を愛好し東山文化が栄える因をなした。

 

TAG:戸神山 2012年4月16日
 
 Back