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あの頂を越えて

神社参拝

~神社を訪ねて~

あの頂を越えて

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~神社参拝:神社を訪ねて~

 神田明神

 寺社の種類:旧府社、准勅祭社、別表神社、江戸総鎮守
 創建の時期: 天平2年(730年)
 社殿の様式:入母屋造本瓦型銅板葺
 所在地:東京都千代田区外神田2丁目16番2号
 訪問日:2007年4月30日

 

神田明神は神田、秋葉原、大手町、丸の内など108長会の総氏神です。

江戸総鎮守として尊崇され、神田祭の山車は将軍上覧のために江戸城中に入ることが許され、天下祭とも称され江戸三大祭りの一つと言われています。

朱塗りの楼門
ビルの谷間に朱塗りの神殿

外神田のビルの中に朱塗りの楼門がそびえています。ここはテレビドラマでお馴染の銭形平次が住んでいたとされるところで、境内には銭形平次の写真撮影用のパネルもありました。

 少彦名命(すくなびこなのみこと)

古事記では神産巣日(かんむすひ)神の、日本書紀では高皇産霊(たかみむすひ)尊の子です。大国主神の国土経営に協力したが伯耆国淡島で粟茎(あわがら)に弾かれて常世(とこよ)国に行ったとされています。

 

 平将門(たいらのまさかど)

?~940年、平安中期の武将。上洛して藤原忠平に仕えたが、希望が叶えられず関東に戻った。同族内の領地争いから伯父の国香を殺し、武蔵国や常陸国の紛争に介入するなど関東に勢力を拡げた。自ら新皇と称し関東独立を図ったが朝廷の追討軍との争いに破れた。京都で処刑され首が飛び帰って葬られたのが大手町将門首塚とされる。

 

 入母屋造(いりもやづくり)

寄棟造の上に切妻造を載せた形で社寺建築に広く採用されています。法隆寺の金堂や玉虫厨子などにみられる建築様式です。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。&link#Susanou&素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、&link#Amaterasu&天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

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