鎌倉古道上道・南町田から多摩川学園 


 歩  程:行動時間 4:00、歩行時間 3:50
 歩行距離:10.1km
 累積標高差:+87m、-96m
 アプローチ:往路・東急田園都市線南町田グランベリーモール駅、復路・小田急線多摩川学園駅
 訪問日:2022年5月23日

 

 コースタイム


南町田グランベリーモール駅10:05~熊野神社10:20/25~町谷八坂神社10:30~金森天満宮11:00~杉山神社11:15/25~町田天満宮11:35/40~町田駅11:50/12:10~菅原神社13:05/15~玉川学園駅14:05

 

 南町田~熊野神社~杉山神社~町田天満宮~菅原神社~玉川学園駅


鎌倉古道上道歩きは南町田から、東急田園都市線のグランベリーモール駅からイルミネーションの階段を登るとたくさんの車が走る保土ヶ谷バイパスです。

南町田グランベリーモール駅
保土ヶ谷バイパスから住宅地の中へ

緩やかに下ると道を右に、住宅地の中に熊野神社がありました。現地の案内板によると熊野三社神社を勧請したもので現在の社殿は昭和46年(1971年)に再建されたものと言います。

近くの幼稚園児の散歩でしょうか、20人ほどの子供が手を引かれながら境内を歩いていました。

熊野神社の拝殿
神額、鈴緒はコロナ対策か巻き上げられ
八坂神社の庚申塚
簡素な造りの八坂神社

熊野神社の先には境外末社の八坂神社があります。石段の上には簡素な社殿が祀られています。

境内には2基の庚申塚が祀られていました。三猿を従えた一面六臂の青面金剛、石面は風化していますが手には日月と弓、矢を持っているように見えます。

八坂神社からは住宅地の中をしばらく進んでいきます。緩やかに登ると金森天神山ふるさとの森です。石段の上には玉垣を巡らせた金森天満宮が祀られていました。

境内の案内板には天満宮の由来が書かれています。近郊の崇敬の方々が修複造営を行っていると書かれていました。

金森天満宮
杉山神社の鳥居
参道にたくさん庚申塚
参道の奥に拝殿

天満宮からしばらく進むと杉山神社です。杉山神社は鶴見川、帷子川、大岡川周辺に点在する神社で、神奈川県を中心に38社があると言います。

延喜式内社に都筑郡の一座として杉山神社の記載があるものの、大棚・中川 杉山神社、茅ケ崎杉山神社、西八朔杉山神社、新吉田杉山神社の4社がその論社とされています。赤城神社もそうですが長い年付きの中に神社の盛衰が包まれているようです。

境内にはたくさんの庚申塚や地神塔が祀られていました。金森文化遺産保存会の案内板には日待塔、光専神などあまりお馴染みでない石塔も紹介されていました。

神額と本坪鈴
町田天満宮
境内の撫で牛
境内社

さらに住宅地の中を進むと町田天満宮です。本町田菅原社、南大谷天神社とともに町田三天神と呼ばれています。天正年間(1573~1591年)この地を知行していた北条氏輝によって鎮座したものと言います。

境内には大物主命、素戔男尊、恵比寿神、聖徳太子を祀る境内社がありました。真っ赤な鳥居の先には出世稲荷も祀られていました。

参宮橋でJR横浜線を超えると町田の駅です。駅前の商店街はたくさんの食べ物やなどで賑わています。

赤い鳥居が続く出世稲荷
町田駅
町田シバヒロの側に馬頭観音
鶴川街道を超え

時計はすでに12時、お馴染みのとんかつ屋さんに入りお昼にしました。若者のほか年配の人も何人か、一人暮らしで自炊するのは大変なのかお昼はとんかつ屋さんと言う人も多いのでしょう。

町田駅はJR横浜線と小田急線が交差するところ、小田急駅傍の踏切はまさに開かずの踏切です。小田急の急行、普通列車それにロマンスカー、事故でダイヤが乱れていたのかも知れませんが15分ほど遮断機は下りたままでした。

町田駅から鶴川街道を超えると鎌倉街道です。緩やかに坂道を下ると本町田菅原神社にたどり着きました。ここは町田三天神の一つです。

鎌倉街道を下って行くと
菅原神社の赤い鳥居
急な石段を登ると社務所
菅原神社の拝殿

赤い鳥居をくぐり抜けて急な石段を登って行くと拝殿です。境内の案内板には寛永7年(1630年)大沢玄蕃によって天神像が奉納され、以来本町田の鎮守となったと書かれています。

またこの地は井出の沢の古戦場跡と言います。後醍醐天皇による建武の親政に不満が高まり、かつての鎌倉幕府執権、北条高時の子時行が、建武2年(1335)に反乱の兵を挙げました。これが中先代の乱です。信濃から鎌倉奪還を目指し南下した時行の兵は、井出の沢で足利尊氏の弟直義によって迎撃されたとされています。

境内に藤木稲荷社
鎌倉街道から鶴川街道へ
小田急線の踏切に玉川学園
玉川学園駅

菅原神社からは鶴川街道へ、鶴見川を越え小野路へと続く予定ですがかなりの暑さでバテ気味です。今回の鎌倉古道歩きはここが終点です。電車の便はあまり良くなさそうですが小田急の玉川学園駅から戻ることにしました。

 

 コース GPSmap


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関連記録・コース

 北条氏照(ほうじょううじてる)

戦国時代の武将。滝山城主、のち八王子城主。北条氏康の二男。兄氏政の領国支配を助け北関東進出に活躍した。1590年秀吉の小田原征伐に際し小田原城で氏政とともに自害。

 

 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)/尊治(たかはる)

第96代天皇(在位:1318年3月29日~1339年8月15日)後宇多天皇の皇子。大覚寺統。親政を企てて正中の変、元弘の変に敗れ、隠岐に流された。1333年脱出し新田義貞足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。

のち公武の不和から親政は失敗し尊氏らも離反、36年吉野に移り南朝を立てた。陵墓は奈良県吉野郡吉野町吉野山の塔尾陵。

 

 北条高時(ほうじょうたかとき)

1303~1333年、鎌倉幕府第14代執権。北条貞時の子。14歳で執権となったが内管領長崎高資らに実権を握られ遊宴にふけったため幕政は混乱。元弘の乱後醍醐天皇を隠岐に配流し光厳天皇を擁立したが、新田義貞に鎌倉を攻められ東勝寺で自刃した。

 

 中先代の乱(なかせんだいのらん)

建武2年(1335年)鎌倉幕府滅亡後、復活の機をねらっていた北条氏残党の諏訪頼重らは、中先代(北条時行)を擁して信濃に挙兵し鎌倉を攻めたが、東下した足利尊氏に討たれて敗北した。

 

 北条氏康(ほうじょううじやす)

1515~1571年、戦国時代の武将。後北条氏第3代。北条氏綱の子。1551年、扇谷上杉氏・山内上杉氏を河越に破り、1561年の小田原城の戦いでは上杉謙信を敗走させた。伊豆・相模・武蔵・上野を領有し後北条氏の全盛期を築いた。

 

 小田原征伐(おだわらせいばつ)・小田原攻め(おだわらぜめ)北条征伐(ほうじょうせいばつ)

1590年豊臣秀吉が天下統一のため小田原の北条氏(後北条氏)を滅ぼした戦い。秀吉は兵農分離による組織化された軍事力と強力な物量作戦を展開し、関東の北条氏の支城を次々と落とし本城小田原城を3ヵ月余にわたり攻囲・降伏させた。

 

 後宇陀天皇(ごうだてんのう)

第91代天皇(在位:1274年1月26日~1287年10月21日)亀山天皇の第2皇子。大覚寺統。1287年伏見天皇に譲位したが、その後続けて持明院統の後伏見天皇が即位したため、幕府に働きかけて後二条天皇を即位させて院政を行った。陵墓は京都府京都市右京区北嵯峨朝原山町の蓮華峯寺陵。

 

 新田義貞(にったよしさだ)

1301~1338年、鎌倉末期・南北朝時代の武将。元弘3年(1333年)鎌倉幕府を滅ぼし建武政権から重用された。のち足利尊氏と対立、兵庫で楠木正成(くすのきまさしげ)とともに九州から東上する尊氏と戦ったが敗れ、恒良・尊良両親王を奉じて越前金崎城によったが落城。藤島の戦いで討ち死にした。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

 元弘の乱(げんこうのらん)・元弘の変(げんこうのへん)

1331年(元弘元年)後醍醐天皇によって起こされた政変。鎌倉幕府の討幕を企てて露顕し、天皇は捕らえられ隠岐に流された。天皇の隠岐脱出に呼応して諸将が蜂起、幕府は倒れ建武の中興をみるに至った。

 

 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)/尊治(たかはる)

第96代天皇(在位:1318年3月29日~1339年8月15日)後宇多天皇の皇子。大覚寺統。親政を企てて正中の変、元弘の変に敗れ、隠岐に流された。1333年脱出し新田義貞足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。

のち公武の不和から親政は失敗し尊氏らも離反、36年吉野に移り南朝を立てた。陵墓は奈良県吉野郡吉野町吉野山の塔尾陵。

 

 光厳天皇(こうごんてんのう)

北朝第1代天皇(在位:1332年9月20日~1333年5月25日)後伏見天皇の皇子。持明院統。後醍醐天皇の皇太子となり、元弘の変後、北条高時に擁立されて践祚。鎌倉幕府滅亡により退位。建武の新政失敗後に院政を行う。陵墓は京都府京都市右京区京北井戸町丸山の国山陵。

 

 新田義貞(にったよしさだ)

1301~1338年、鎌倉末期・南北朝時代の武将。元弘3年(1333年)鎌倉幕府を滅ぼし建武政権から重用された。のち足利尊氏と対立、兵庫で楠木正成(くすのきまさしげ)とともに九州から東上する尊氏と戦ったが敗れ、恒良・尊良両親王を奉じて越前金崎城によったが落城。藤島の戦いで討ち死にした。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

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